-遠い記憶の欠片- 前編
.C.E.73 10月 3日 ブレイク・ザ・ワールド
この事件は再び戦争を引き起こす引き金になってしまった。
この日を境に、ザフト軍脱走兵によるテロ行為が頻繁に起こるようになった。
物資調達の為に地球軍やザフトの補給艦を狙った行動も表立った。
数日後、ザフト軍所属のリバーズ隊はテロリスト残党の殲滅作戦に駆り出される事になった。
その部隊に所属する少年、リック・ランス・フォルテスもまた、戦場への船旅にいた。
「……ふぅ」
毎日欠かさず行っている射撃訓練を終え、リックは一息ついていた。
因みに今日のスコアは前日より1割近く落ちていた。
この出来事が今のリックの気分をも落としていた。
(今日は集中力が欠けていた…戦場では命取りになるな…)
普段から口数の少ないリックは赤服を身に纏う正真正銘のエリートだった。
物心つく前から施設にいたリックは十年前、名家であるフォルテス家に引き取られた。
ミドルネームは義父の父、つまり祖父に、引き取られる際に名付けられたものである。
“ランスロット”……ケルト神話に登場する最強の円卓の騎士の名に由来していた。
この意味を知った時、随分と買い被られたなぁ、と一人笑っていたのを覚えている。
「今、何時だ…?」
「16時39分よー」
リックの独り言を待っていたかのように間髪入れずに声が聞こえた。
はっと、伏せていた顔を上げると同じパイロット仲間で先輩のチェイ・スーの笑顔があった。
「どうも…チェイさん」
「あは。暗いぞ〜少年。なんか悩み事?」
「いえ、大した事じゃ…ありませんから」
「いいからいいから。お姉さんに話してみなさい!」
(お姉さん、て言っても年は2つしか変わらないのに…)
どうもチェイはリックに絡む時、弟のような扱いをしてくる。
確かに彼女はリバーズ隊の中でも明るいムードメーカーみたいな存在だ。
よく同期や後輩の相談に乗ることも多いと聞く。あくまで噂だが。
目を輝かせたチェイをあしらうことが出来ず、リックは観念して話し始めた。
「実は……」
「ふんふん?」
「…………」
「なになに?」
リックは正直迷った。本当にこのまま話していいのか?
「あー、お姉さんには話せないって言うんだー。皆ー、りっくんがいぢめるよー!」
「ええっ!?い、いえ…その…は、話しますよ!!」
「ふーん。なになにー?」
騙された。
いや、泣き真似だと分かってはいたが、こういう状況には慣れていなかった。
チェイはリックの事を「りっくん」と呼んでいる。
初めの頃はやめてほしい、と話したものの、今では当の昔に諦めている。
「その…日課の射撃訓練をしていたんですが…」
「ふんふん?」
「昨日より…その…」
「んー?」
「す、スコアが…低かったので…」
「どれくらいー?」
「あ、えっと…1割くらいです」
「…………」
するとチェイはさっきまでとは打って変わって考え込むような様子を見せた。
(あれ?何か悪い事でも言ったかな?)
しかし、急に顔を上げたチェイはリックの両肩をガシッと掴んだ。
「大丈夫よ!!」
「うわっ!?」
急に大きな声を上げられたので驚いてしまった。
しかし、チェイはそんな事は気にせず、肩を掴んだままぶんぶんと揺さぶった。
「りっくん!君は、私たちの、エース、なんだから!!細かい、事は、気に、しないの!!」
ぶんぶんぶんぶん…
「わ、わ、分かったから!ゆ、揺すらないで下さい!」
「あ、ゴメンね」
何とか解放されたリックは目を回して倒れそうだったが踏み止まった。
「いえ…アドバイス…ありが、とう、ございました…」
「だ、大丈夫?医務室行こうか?」
「い、いえ…大丈夫です…」
リックはふらふらとした足取りで自室に戻ることにした。
ゴンッ!!
「あいたっ!?」
「本当に大丈夫かなー、りっくん…」
壁に頭をぶつけながらも何とか自室へ戻っていった。
「…はあ〜」
自室に戻るや否やリックはベッドに倒れ込み、大きな溜め息をついた。
(チェイさんと居ると調子狂ってしまうな…)
別にチェイが嫌いな訳ではなく、勿論避けているつもりもない。
現に、射撃訓練の後の、あの重い雰囲気は綺麗さっぱり無くなっていた。
只、リックがフォルテス家の屋敷にいた時はそういった人物に巡り合えなかったのだ。
「変わった人…なのか?」
周りからすればリックも十分変わった人だと思われているが、当の本人が知る由もない。
ベッドから起き上がり、パソコンを起動させる。
デスクトップのアイコンをクリックし、お気に入りのチェスゲームを開いた。
ふと、画面端の時計でまだ時間があることを確認し、ゲームを始めた。
「今日はCPUレベル8でやろう」
独り言を呟くとすぐにゲームに没頭し始めた。
因みにこのゲームの基準では一般人の平均的レベルは4である。
リックは一息つきながら画面端の時計を眺めた。
「…あ、もうこんな時間!」
17:49。あと10分程でブリーフィングが始まる時間だった。
リックは慌ててパソコンの電源を落とすと、自室を出た。
(結局、1勝もあげられなかったな…)
これは、当然と言えば当然なのだが。
「リック・ランス・フォルテス、入室します」
(うわ、僕が一番最後らしいな)
ブリーフィングルームにはもう既に全員が集まっていた。
慌てて列の最後尾に並んだ時に、チェイと目が合った。
「やっほー!」とでも言いたそうに小さく手を振っている。
リックは苦笑しながら、小さく手を振り返した。
「あー…では早速、今回の作戦を説明する」
フランダー・リバーズ隊長の言葉にクルー達の間に緊張が走る。
「皆も知っていると思うが、今回の作戦はこの宙域のテロリスト達の殲滅作戦だ。一人たりとも逃がす事は許されない」
何度聞いても嫌な任務ではあった。
しかし、これを遂行しなければまた新たな事件の幕開けになる可能性は大きい。
これ以上、事を大きくしない為にもテロ集団を根から断つ必要があった。
「まず我々の艦、シュプランガーは指定ポイントでノークス隊のホルクハイマーと接触する」
リバーズ隊のシュプランガー、ノークス隊のホルクハイマーは共にナスカ級高速戦闘艦である。
ノークス隊自体は主に補給活動を行っているので、戦力は乏しい状況にある。
「この宙域では我が軍も何度かテロ集団に物資を狙われている。
奴らは間違いなくホルクハイマーも狙ってくる。そこを一気に叩く!」
多くの物資を積んだホルクハイマーを囮にして集まった敵を倒す。
リックは、随分とシンプルな作戦だ、と思った。
「敵も恐らくナスカ級が一隻、援軍を含めても二隻だと予想している。
こっちの方はレックスとチェイの2人に任せる」
リバーズ隊にはザクが3機しかなく、それぞれレックス機、チェイ機、そして隊長のザクファントムしかない。
ガナーウィザードを使用した方が対艦装備として適しているという事だろう。
「残りの、トーマス、マリア、リック、そして俺は2人の援護に回る。以上だ」
作戦の内容を簡単に説明し終えると、すぐにブリーフィングルームを出て行った。
まだ時間はあったが、リックも席を立ち、パイロット控え室へ直行した。
「……ふぅ」
パイロットスーツへの着替えを終えたリックは今日何度目かの溜め息をついた。
ベンチの上に寝転がり、天井の蛍光灯を眺めた。
白い光は音もなく、見ているだけで吸い込まれそうな感覚だった。
「……暇だな」
ずっと此処にいることが無意味に思えてきた。
リックは起き上がり、ブリッジで機体の最終調整をすることにした。
ブリッジは機体の最終チェックの為に整備士たちが慌しく走り回っていた。
あちこちからベテラン整備士の怒声が聞こえてくる。
リックはぶらぶらしながら、均等に並んでいるモビルスーツを眺めていた。
隊長のザクファントム、レックスさんとチェイさんのザクウォーリア……。
チェイのザクを通り過ぎ、その足を止めた。
「僕の、シグー、か……」
あらゆる改良が施されたシグー。これがリックの愛機である。
カラーリングは一般のものとは変わらないが、中身は全く違うと言ってもいい。
まずは機動性。
このシグーはスラスターの改造により、ジンハイマニューバよりも高い機動性を持っている。
その分、扱いが難しいため、整備士はリックのパイロットとしての腕をよく理解していた。
そして武装。
改良されたバルカンシステム内装防盾、右腕に備えられた小型ガトリング砲。
そして、機体と同じ長さはありそうな大槍、『ドラゴンフライ』。
全てリック自身が設計し、オーダーした物である。
「なんだか暫く見てなかった気がする」
「へぇー。やっぱ何時見てもカッコいいねー」
「うわあっ!?」
すぐ隣からチェイの声が聞こえてリックは大げさに驚いた。
「い、何時からそこに…?」
「ちょっと前から。こらこら、そんなに驚くとお姉さん傷つくぞー?」
「あ、す、すいません」
反射的に謝ってしまった。
その様子を見て、チェイは満足そうにリックの頭を撫でた。
「んー!りっくんってカーワイー!」
なでなでなで……。
「か、からかわないで下さい!」
「えー。つまんなーい」
チェイは渋々、頭を撫でていた手を引っ込めた。
「…そ、それで、チェイさんはどうしたんですか?」
「んー?やっぱパイロットなら自分の機体が気になるってヤツかな?」
(いや、疑問形で返されても…)
「じゃ、私はザクの調整してくるから。りっくんもガンバ!」
「え、あ、……はい」
(やっぱり調子狂っちゃうよな…)
リックはぶつぶつ呟きながらも機体の調整を終え、控え室へ戻った。
『…続いてチェイ機、ウィザードはガナーを選択…』
『発進準備完了。チェイ機、発進して下さい!』
「チェイ・スー!ザク発進します!」
オペレーターの合図と共にチェイの乗るザクは発進していった。
隊長とレックスさんは既に発進を終え周囲を警戒している。
(次は僕の番、か)
「すいません!ザクの予備のライフルを貸して下さい!」
僕の言葉に一人の整備士がクレーンを操りシグーにマガジンとライフルを渡してくれた。
「ありがとうございます!」
『続いてリック機、中央カタパルトへ…』
『発進準備完了。リック機、発進して下さい!』
「リック・ランス・フォルテス、シグー行きます!」
シグーは合図と共にカタパルトから飛翔した。
この時はまだ、自分達に魔の手が迫っている事など、知る由も無かった。
≪後編に続く≫
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