一足、二足と歩を進める毎に、ギシリ、ギシリと嫌な音を立てて軋む地面。 白砂の荒野。 埋もれる無数の骨。 大地を埋め尽くす様に敷き詰められた骨。 人の物でも動物の物でもない。 それは余りに大きく、余りにも異形だった。 爬虫類を思わせる骨格。 巨大な口にびっしりと並ぶ牙。 そして背中から伸びる猛禽の羽。 これは”竜”だ。 太古より人々の想像の中で、畏怖の対象として崇められ続けた神の化身。 或いは悪魔の化身。 此処は竜骨の砂漠。 ”彼”は酷く虚ろな眼で、朦朧とした意識の中、この広大な砂漠を独り、目的も無く歩いている。 自分が何故此処に居るのか、どこから来たのか、自分は何者なのか・・・ 最早それすらも胡乱だ。 軋む地面。 踏みしめる度に砕ける竜の骨。 何故かは解らない。しかし、この音は酷く不快だ。 ギシリ。 ”彼”は耳障りなその音に眉を顰める。 突如、周囲が暗転する。 巨大な影に包まれて。 ふと見上げれば、そこには何十mにも到達しようかと思われる、禍々しい姿の怪物が居た。 蛇の如く連なる胴体に、無数の手足。そして無数の翼。 ”彼”は眼を見開いて、その怪物に向かって声を投げかける。 「な、何だ!? お前は一体・・・この化け物め!?」 怪物は低くくぐもった声で返答を返す。 「化け物とは、またとんだご挨拶だな。 翼をもがれた哀れな黒竜よ。 ・・・しばらく会わぬ内に、私の事を忘れたのか?」 怪物は不可解な言葉を投げかける。 ”彼”は、その問いを無視して質問を続ける。 「・・・・・ここは何処だ? ・・・・・俺は誰だ? 何故、俺はこんな所に居る?」 怪物が哂う。 酷く 「ここが何処か、だと? 決まっているだろう。 ここは”地獄”さ。 ・・・何だ、お前は未だ気付いていないのか? 自らの死に。 それとも認めたく無いだけか?」 ・・・・・・”地獄”。 ああ、成る程。 あっさりと”彼”は納得した。 どうやら自分は死んだようだ。 ならば地獄に向かうは必然か。 到底、極楽へ行けるとは思えないから。 ・・・何故、そう思うのかは自分でも解らない。 ギシリ。 地面が軋む。 「”地獄”か。 ならば貴様は、 ふん、ゾッとしねぇ話だ。」 死後の世界等と言うものが本当にあったとは。 悪い冗談のようだ。 鼻で笑い飛ばす。 生前の自分は、きっと神など信じていなかった。 当然、死後の世界など思い描いた事も無かったはずだ。 怪物は未だ哂い続けている。 「魔王か。ふふふ、似たようなものだな。 だが、私が何者であるかなど、お前にとっては重要な事でもあるまい? なあ、”ギュスタフ”?」 ギシリ。 再び軋む竜の骨。 「”ギュスタフ”・・・ああ、それが俺の名か?」 「思い出せんか? それとも思い出したく無いのか? ならば無理にでも思い出せ。 さもなくば、お前は未来永劫、この世界を抜け出す事は適わぬ。 思い出せ、”ギュスタフ・リントヴルム”。 自分がどのようにしてその生涯を終えたのかを。」 ・・・・・”リントヴルム” ギシィ! その名を聞いた瞬間、一際大きな軋みが聞こえた。 同時に白砂の世界に皹が入り、色鮮やかに蘇る風景。 それと共に、彼を突如襲う異変。 肺が潰される様な感覚。 息が・・・息が出来ない。 溢れかえる記憶の奔流に飲み込まれ、ギュスタフ・リントヴルムは低いうめき声を上げて蹲った。 ***** 「何たる様だ。貴様・・・それでも私の息子かっ!?」 初老の男が烈火の如く髪を逆立てて怒りを露にする。 怒号と共に飛ぶ鉄拳。 「ぐぅっ! ・・・げほっ・・・がはぁっ・・・・」 殴られ、地に這い蹲る俺の姿。 痛みと呼吸困難の為か、視界が酷く歪む。 「ク・・・ソ親父・・・」 ”親父”の常軌を逸した行動に、周りの研究員達が慌てて駆け寄ってくる。 「立て。そしてもう一度乗るのだ。成功するまで何度でも繰り返せ。 貴様は何の為に生まれて来た? 与えてやった 私の 目的も果たせずに死すならば、最早貴様は私の息子ではない! さあ、 研究員達に取り押さえられる父。 唾を飛ばしながら、実の息子を蹴りつける父親の目に、既に正気の光は灯っていない。 「俺は・・・俺はっ! アンタの道具じゃねぇ!!!」 「そんな台詞は道具として役に立ってから吐いて見せろ!! この・・・・”出来損ない”めっ!!!」 ああ・・・・そうだ。 この言葉。 俺を戦いへと駆り立て続けた屈辱の言葉。 ”出来損ない” それを否定し続ける事が俺のアイデンティティだった。 何度失敗しても、何度殴られても、何度罵られても・・・ 何時かこの親父を見返してやろうと・・・ 俺は決して、龍の翼を手に入れる為の挑戦を諦めなかった。 「もっとだ! もっと速く飛べるはずだっ!! お前は この世で最速の龍となれ、ギュスタフ!!」 そうだ。 俺は出来損ないなんかじゃない!! アンタに言われるまでもねぇ。 激しいGが身体を軋ませる。 骨がひしゃげてしまう様な感覚。 その瞬間。 確かに見えた。 ”音速の向こう側”が。 俺の体を満たす充足感。 親父の歓喜の声。 へへっ、やってやったぞ、クソ親父・・・・ コックピットの中で薄れ行く意識の中で、俺はモニターの中の親父に向けて中指を立てた。 ***** そこは誰も侵す事の出来ない、俺の絶対領域だった。 ”音速の ・・・あの男が来るまでは。 カイ・シャオルン・・・ガイル・レディウスの秘蔵っ子。 あの不愉快な笑顔で。 余裕綽々の態度で。 事も無げに。 奴は俺の聖域を土足で踏み躙った。 忘れられぬあの屈辱。 モニター越しに、奴の飛翔を見せ付けられた日。 俺は俺の半生を完全に否定された。 ”龍の翼”を得る為だけに生きてきたこれまでの人生を。 ドラッヘン・フルーク運用試験最終フェイズ・・・ 今まで誰も成功させる事の出来なかった難易度最高峰の試験。 「堕ちろ・・・堕ちろ・・・この盗人め・・・ それは・・・その翼は・・・俺のものだ! 貴様の様なポッと出の一兵卒に・・・持って行かれてたまるものか!!」 俺は心の中で呪詛の言葉を吐き続けた。 だが・・・奴は”龍の翼”を確実に自分の物とした。 余力すら残したままで。 俺の前で。 大勢の研究員の前で。 ・・・・・親父の前で。 ”龍の翼”を搭載させたMSの正式パイロット候補として、大きく水を開けられた俺に、親父は冷淡にこう吐き捨てた。 「・・・・・・所詮、貴様には荷が重かった、と言う訳か。 カイ・シャオルンは正に天才よ。 ”出来損ない”の貴様とは違って、な。 ・・・もう良い。 明日から、試験に参加せずとも良いぞ、ギュスタフ。 ”龍の翼”は奴に与える事にする。」 「なっ!? 待ってくれ・・・親父!! 俺にも同じ試験を受けさせろ!! あんな奴なんかよりよっぽど上手く、速く飛んで見せる!! だから・・・・」 必死に食い下がる俺に、親父は・・・・・初めて見せる表情で呟いた。 「・・・もう良い。 貴様には無理だ。 ・・・・・・・今まで、済まなかったな。 過度な期待をかけて。 私の人生をかけた研究だった故、息子だからと特別扱いする事はあってはならぬ、と、随分酷い事もしてしまった。 ・・・私は父親失格だ。 本当に済まなかった。 だが、お前が優秀なパイロットで有る事に代わりは無い。 ガイル総監に、私が掛け合ってお前をGOSの正式な隊員に・・・・・」 止めろ。止めろ。 何だその歯の浮くような台詞は? 何時も何時も、家畜でも躾ける様に暴力を振るった貴様が、何を今更!! 父親面をするなっ!! 何だその・・・哀れむような眼はっ!? 畜生・・・畜生・・・ 胸が苦しい。 息が出来ない。 試験中の身体に掛かる負荷等よりも。 失敗の度に殴られた痛みよりも。 今の親父の一言が一番、俺の心を抉った。 親父に・・・”見捨てられた”。 唯それだけの事実が、この時の俺を、微生物すら存在しない白砂の砂漠の真ん中に置き去りにした。 カイ・シャオルン・・・ 俺は血の滲むほど噛み締めた唇の端から、その呪わしい名を吐き出す。 奴だけは・・・許さない。 俺の翼を奪い取った報い・・・必ずその身に刻みつけてやる。 復讐という名の黒色の炎が俺の身を焼き、負の感情を膨張させた。 ***** それが俺の手に入れた、俺だけの”龍の翼”。 この日を一日千秋の思いで待ち侘びた。 あの忌々しいカイ・シャオルンに決定的な敗北感を与えた上で焼き殺す。 その為だけに生きてきた。 目的を失ったあの日から。 ”龍の翼”を奪われたあの日から。 ” 終に。 終にお前と! この黒龍を手に入れる為、俺は同胞すらも裏切った。 全ては貴様を打ち滅ぼす為!! 最早何も惜しくは無い。 勝利を手にする為ならば! 小手調べに放ったレールガンを、奴は容易く回避する。 「この程度じゃお前に通用しないよな・・・・・カイ」 そう来なくては。 俺の長年の悲願でもある貴様が、簡単に沈んでもらっては困る。 しかし、高揚する俺の気分は、次の奴の言葉によってどす黒い感情に取って代わられる。 『あなたの目的は何です? どうしてこんな事を・・・』 目的だと!? どうしてこんな事をするか、だと!!? 解るまい。 そうやって貴様は何時だって! 周りの人間の気持ちなど顧みずに、才能をひけらかす事も無く、静かに、そして遠慮がちに・・・ 他人の矜持を踏み躙る。 貴様には解るまい。 生まれた時から翼を持っていた貴様に、翼を欲して唯ひたすらに空を見上げ続けた”持たざる者”の気持ちなど! 解りよう筈が無い。 俺は笑う。哂う。己を嘲笑する。 何時しか奴の翼に嫉妬していた自分の矮小さに気付き。 あの日、呪詛の言葉を吐きながらも、奴の見事な飛翔に魅入ってしまった自分を思い出し。 ”かく在りたい”と願った事を。 カイ・シャオルン・・・・・・ 俺は貴様に成りたかった。 貴様と同じ高さを・・・・・同じスピードで飛んで見たかった。 『何が可笑しいんですか?』 奴が問う。 解るまい。 貴様などには永遠に解るまい。 俺は笑う。 そして呟く。 「目的・・・か。何処から話そうかぁ?」 何処から話し始めたとしても、何処まで話したとしても、貴様には永劫に解るまい。 だからこれ以上の問答は不要。 俺は今、貴様を超える。 貴様を倒し、貴様の翼を毟り取って!! 「立ち話も何だ・・・・そろそろ始めよう、ぜぇ!!」 さあ、始まりだ。 俺と貴様、どちらが高く、速く飛べるか。 どちらの”龍の翼”が優れているか。 俺の命を掛けて試させてもらう。 貴様がどう思っていようが関係無い。 貴様は俺の憎き敵! そして超えるべき好敵手!! 俺の名はギュスタフ・リントヴルム! 音速を超える 俺はその忌まわしき名を、声高々と叫んだ。 ***** 怪物が静かに蹲るギュスタフを見下ろす。 「どうだ? 少しは思い出したか? 自分の事を。」 ギュスタフは、虚ろな眼で怪物を見返す。 「・・・ああ。全て、な。」 「ならば、貴様がどのようにして生をまっとうしたかも、当然思い出しておるのだろうな?」 怪物の言葉に、再び俯くギュスタフ。 「ああ・・・俺は・・・俺は、結局、奴には何一つ及ばなかった。 戦闘に敗れ、死を恐れて逃亡した挙句に・・・・・・容易く追いつかれ、惨めに斬り裂かれた。 所詮、俺は・・・・・”出来損ない”だったと言う訳だ。」 思い出したくなかったのは、恐らくその答えに到達するのを恐れたから。 彼の半生は、”龍の翼”を手に入れる事に費やされた。 しかし、その翼は、才有る他の者に容易く横取りされた。 彼の人生のもう半分は、翼を奪ったその男を倒す事だけに費やされた。 しかし、敗北した結果、彼は冥府へと旅立った。 何一つ手に入れる事の出来ない、非常な現実。 犬死にの道化者。 特に後半の人生の目的の為には、多くの者の命を犠牲にしたのだと言うのに。 地獄に堕ちて当然だ、とギュスタフは自嘲する。 だが。 怪物は、ギュスタフの嘆きを聞いて首を傾げたような素振りでこう呟く。 「”出来損ない”? 何を言っている。貴様は、立派に目的を果たしたではないか?」 「・・・・・?」 顔を上げたギュスタフの視界に、無数のモニターが映る。 ギュスタフは食い入るようにそれを見つめる。 ***** そこに映し出されたのは、自らの最期の姿。 両腕を失い、敗北を悟り、惨めに敗走する自分の姿。 この後、” 否。 違う。 必死で逃げる 馬鹿な!? 確かにあの時、追いつかれて・・・・ 「違う。違うぞ、ギュスタフ。 もう一度良く思い出して見るのだ。 自らの最期の飛翔を。」 ギシリ。 ギシリ。ギシリ。 骨が軋む音。 これは・・・・”俺自身の身体が軋む音”!! ああ、そうだ・・・・・俺はあの時・・・・・・ ”ドラッヘン・フルーク”を その衝撃は、人間が絶えうるGを遥かに超える。 体中が悲鳴を上げ、まるで海月の様に身体がひしゃげていくのを感じる。 何故そんな事をしたのか? 迫り来る死が恐ろしかったからなのか? 答えは、否。 俺は・・・最期に一瞬でも良いから、”音速の向こう側”へ到達したかった。 そここそが、真の”絶対領域”。 カイ・シャオルンでも到達し得ない、人間の限界を超えた”俺だけの それは生きているうちには決して到達出来ない領域。 だから、俺は己の死を持って、初めてそこに至った。 だが。 肉体の限界と共に、機体の速度は次第に落ち始める。 本気を出したカイの”龍の翼”は速度を増して行き、失速し始めたバハムートノワールを終には捕らえる。 追いつかれた記憶しか残っていなかった。 だから、俺は奴に何一つ勝てなかった・・・と思い込んでいた。 だが、真実は違う! 「そう。あの一瞬、お前は確かに、世界で最速の龍となった。 人の身では到達し得ない領域に、死と引き換えに足を踏み入れたのだ。 戦いには敗れた。 しかし、お前は死して お前を殺したのは奴ではない。 奴が倒したのは、ギュスタフと呼ばれたお前の抜け殻のみ。」 そうだ。 俺はカイの手によって葬り去られたのではない。 自らの速度によって、人間の肉体を失い。誰も到達出来ない世界へ飛び立ったのだ。 ゾクゾクと湧き上がる達成感。 半生を・・・否、人生の全てをかけた挑戦は、終に命と引き換えに成し得た。 即ち、”龍の翼”を手に入れる事。 カイ・シャオルンを超える事。 怪物の身体が、ボロボロと音を立てて崩れ始める。 同時に、俺の身体も、ギシリ、ギシリと音を立てて次第にその形状を失っていく。 怪物が俺に微笑みかけ、そして確かにこう言った。 「良くやったぞ、ギュスタフ。 それでこそ、私の息子だ。」 怪物の中から、あの頃と寸分変わらぬ姿で”親父”の身体が出現する。 それは今までに見せた事の無い表情だった。 満面の笑顔。 俺は奴の笑みに釣られて、引きつった顔で笑い返す。 「・・・・・けっ、やっと褒めてくれたな。クソ親父。」 ギシリ。ギシリ。 二人の身体が崩れていく。 それと共に、この広大な竜骨の砂漠も次第にその姿を崩壊させていく。 この景色は俺の忌の際の幻だったのだろうか? 最期の救いを求める俺の願望だったのだろうか? 何処までが真実で、何処からが虚構か解らない、そんな世界。 だが、俺の身体は塵一つ残さずに四散してしまった。 だから俺の墓標はこの竜の死骸と共に在る。 幸福だった、とは言わない。 だが、悪くは無い。 そんな・・・気分・・・だ ≪竜骨の墓標 -Grave Of Dragon- 〜完〜≫ |