PHASE-08 Cross Grave (後編)



戦闘中の強化人間部隊とへカトンケイルの尖兵達の頭上に、無差別に降り注ぐミサイルの雨。

一機、また一機と抵抗むなしく落とされていくMS達。


逃げ惑う兵達をモニターで見つめながら、二ールは歪んだ笑みを浮かべた。


「アハハハハハハハハハ!! 素晴らしい、素晴らしいぞ、オズ!!

無敵じゃないか? 最強じゃないか? 最っっっ高ぉぉぉぉ!!! じゃないかぁ!?


ボクの手に、お前とパラディオンがある限りっ!!!

ボクはどこまでも上っていける!! 


ボクは何にでもなれるぞォ! 王にだってなれるっ!! 神にだってなれるっ!!!」


裏返った声で叫び続ける二ール。

恍惚の表情。至福の時。




そんな彼の彼の背後から、突如冷淡な声が響く。



「貴様如きが神になどなれるものか、この本蛋ベンダン(愚か者)。

身の程を知るがいい。」



「なっ、何だとォ!?」


驚いて振り向いた二ールの視界に入ってきたものは・・・・・・・



血の海。床に倒れこむ部下達の屍。


そして事も無げにその中に立つ、白装束の中国風の衣装を身に纏った人物。


不気味な猿の仮面を装着し、両手に鉤爪をはめている。



鉤爪からは鮮血が滴り落つ。

しかし、驚くべき事にその服は純白のまま。返り血一つ浴びてはいない。


二ールは驚愕する。

いくらモニターに集中していたとは言え・・・・全く気がつかなかったとは何事か?


まさか、物音一つ立てず侵入し、部下達が悲鳴をあげる間も無く彼らを倒した・・・・とでも言うのか?


「な、な、な、何だよお前ェェェ!!?」

腰を抜かして座り込む二ールを汚らわしい物でも見たように、見下す”白猿”。



「暗殺者。お前の命を終わらせる者。

それ以上でも以下でもない。

貴様がそれ以上を知る必要も無いし、知ったところで黄泉路を歩む貴様には何の役にも立たん。



然らば、大人しく死ね。虫けら。」



ニールの顔に恐怖が浮かぶ。


「だ、誰か!? 曲者だァ!!! こいつを始末しろォ!!!」


叫び声が虚しく響く。



「もう誰も居ない。全て殺した。

お前の手勢は全て廊下で冷たく転がっている。」


淡々と呟く暗殺者”白猿”。



「お、お前は何なんだよォ!! 強化人間か? コーディネーターか?」


「そんな詰まらんものと一緒にするな。この程度の事、造作も無し。」



「ボボボボ、ボクを誰だと思っている!? ボクは、ボクはなァ・・・・」


「知っている。二ール・ラガン。虎の威を借る狐。親の七光りで所長の地位に就いた雑魚。

取るに足らん虫けらだ。」



”白猿”はさも面倒だ、と言わんばかりに気だるい語調で答える。



「ままままま、待てよォ!! ボクに手を出したら、パパが黙っていないぞ!!?」


「アーチボルト・ラガンの事か? そんなに顔が見たいなら見せてやろうか?」




モニターが切り替わる。

そこに映し出されたのは、壁に磔にされた初老の男の姿。


男の死体は無数の薔薇で飾りつけられている。


恐怖に見開かれた眼。その顔は・・・・・



「パ、パ・・・・・・パパァァァ!!??」


二ールは絶叫する。

モニターの中で、彼の最愛の父親の亡骸が無惨に晒されていた。



暗殺者は無線機に向かって言葉を放つ。


「・・・・・・こちら”白猿ハヌマン”。反逆者二ール・ラガンの身柄を確保した。

応答せよ、”神鷹ガルーダ”。」



モニターに、些か滑稽にすら見える、鳥を象った仮面の男が映し出される。



「はいはーい。こっちは首尾よく済ませたよ。リィ君。

見ての通りさ。反逆者アーチボルト・ラガンの粛清は済んだ。

んんー。呆気ないもんだねぇ。


全く、団長も人使いの荒い事。

こいつらの”反逆”の証拠が挙がったとたんに即、”殺せ”、だ。

全く、お使いでも頼むみたいに気軽に言うんだからさ。

ロバートさんに全部任せときゃいいのに。こんな面倒な仕事はさ。」



暗殺者”神鷹”は、くるくると前髪を人差し指で弄びながら、悠然と答える。



「・・・・・・真剣にやれ。この阿呆が。

なんだ、その悪趣味な花飾りは。」



「ん? いやぁ、あんまり呆気なさすぎて、暇だったもんだからさ。

どうだい、これ。中々美しいだろ? 題して”薔薇の葬列”。

こんな冴えない中年オヤジでも、散り際は美しくしてあげたいじゃないか?」



「貴様の美学は俺には理解できん。」



「あっそ。じゃあ理解してくれなくても良いよ。

大体、正体隠す為とは言え、この仮装行列みたいな仮面も、”暗殺”なんて地味な裏方の任務も、この僕の美学に反するんだよね、実際。

汗と血でベトベトだし。

・・・・・ん? 君、全然汚れてないじゃない? いやはや、流石は世に名高い”殺戮雑技ジェノサイド・サーカス”。

相変わらず変態的・・・いや、天才的な体術だねぇ。


僕はほら、この通り。凡人だから返り血も浴びるし汗もかくわけさ。

ああ、気持ち悪い。早く終わらせてシャワー浴びたいから、僕はもう帰るね。

お疲れ様。」


一方的に通信が切れ、モニターの映像が消える。



”白猿”はちっ、と舌打ちをして、二ールの方に向き直す。



「・・・・そう言う事だ。親子の対面は済んだな。


・・・・・貴様は”壊し屋”を甘く見すぎたな。

貴様らが軍の機密情報を私物化し、隠し持っていた事は既に筒抜けだ。

故に我らが動いた。


そして、見ての通り、お前の父親は既に始末された。

ああ、哀しむ事は無いぞ。直ぐにお前も同じところに送ってやる。」



鉤爪が二ールの鼻先に突きつけられる。


二ールはヒィッ、と情けない叫び声をあげて後ずさる。



「待ってくれ!! 何が望みだ? 金か? 地位か? 何でもあんたにあげるから、命だけは・・・・」


「要らん。命だけ置いて行け。貴様如きに与えられる物など最早何一つ無い。


貴様の生にも死にも、毛ほどの価値は無い。」



極めて無感情に呟く暗殺者の刃が迫る。



「だ、誰か! 助けろ!! 助けてェ、パパァ・・・・・助けて、オズ・・・・・」


「見苦しい。死ぬ時は大人しく死ね。蛆虫め。」



横一文字に走る閃光。


ポケットから無数のキャンディが零れ落ちる。


そして、二ールの腹部が切り裂かれ、血が噴出する。



腹に溜まった赤黒い泥が、間欠泉のように噴出していく。



「ヒィィィィ!!! 痛い、痛いよォ・・・・・誰か、助け・・・たしゅけ・・・・」


鉤爪が弧を描く。


次の瞬間、二ールの首がゴトリ、と音を立てて床に転がった。



張りぼての権力を剥ぎ取られ、全ての鎧を失いて、二ール・ラガンの人生は終わりを告げた。

誰にも省みられる事無く。

名も知らぬ第三者の刃によって。

羽虫が潰されるかの如く呆気無く。


かくして数々の蛮行の報いは、無惨なる死を持って償われた。






その亡骸に一寸の興味を払う事も無く、”白猿”は、その虚飾の仮面を鬱陶しそうに外し、モニターに映る戦闘の様子に目を向ける。



「・・・・・・・ロバートめ。しくじったのか? 

”壊し屋”も錆びたものだな。」



画面には、半壊したイクリプスの姿が映し出されている。


彼はその様を見て、ニヤリと笑みを浮かべて呟いた。


「・・・否、まだ終わってはおらんか。

然らば・・・しばし様子を見るとするか。


今回、”表”の戦いは奴に一任せよ、との団長の言葉も守らねばならぬ。」


戦いへ赴こうとする本能と衝動を抑えつけながら、”白猿”こと李飛鳳リィ・フェイフォンはモニター越しの戦闘を余興を楽しむ様に観察した。



*****



「・・・・・クソッ、しくじったぜ。この俺様としたことがよォ。」


ガードナーは地表落下の衝撃で痛めた右肩を押えつつ、忌々しげに呟く。


機体の損傷は・・・・・ほぼ60%。

右腕は切断され、バランサーを破壊された。

胴体部も酷く損傷している。

だが幸いな事に、左腕、両脚、そしてエールストライカーは無事。


まだ戦える。

ガードナーはそう判断した。


否、完全に戦える状態で無かったとしても、彼は戦闘を続行する選択肢を選んでいた事だろう。


戦士としての誇りがそうさせるのか?

任務を遂行しようとする団長代行としての義務がそうさせるのか?

はたまた”弱きを助け強きを挫く”彼の中の”義”が、彼を戦場へと駆り立てるのか?


或いはその全て、なのかも知れない。



フラフラと不安定な飛行を始めるイクリプス。


戦場を所狭しと飛び交っていたMS達は、既にほぼ壊滅状態にあった。


研究所守備部隊とへカトンケイルの戦闘によるお互いの疲弊に加えて、無差別に動くものを攻撃する”二ケー”、そして心の平衡を失ったオズによるパラディオンの暴走。

この戦場は血みどろの地獄と化した。



「嬢ちゃんと先生は・・・・まだ無事か? 無事でいてくれよォ・・・」


祈るようにそう呟いたガードナーの眼前の視界に、赤と黒に塗り分けられたダガーの姿が映る。

ブラド・バルバドスの機体だ。


ほんの少し前に地表に叩き付けてやったと言うのに、主だった外傷は左肩の穿孔のみ。

驚異的なタフネスと反射神経である。



「よう、赤毛ェ。手前ェ、まだ生きてやがったのか。」


ガードナーの送った通信に、苛立ちを隠せない様子でブラドが答える。


「ああァ!? そりゃこっちの台詞だ!!

・・・・・手前ェ、そんなとこで伸びてやがったのか? 探したぜ、オッサン。

アンタにリベンジ決めてやろうと思って起き上がってみたらどこにも居やがらねェ。あの化け物に落とされて、とっくにくたばったモンだと思ってたぜ。



ガードナーとの一騎打ちに敗れたブラドは、落下の衝撃でほんの一瞬だけ意識を失った。

それは不幸中の幸いだった、と言える。


”二ケー”の自動追尾は動いているものしか敵と認識しない。

故に先ほどの一斉放射に彼は巻き込まれずに、ほぼ無傷のままで戦場に復帰できたのだ。



ガードナーはまるで、自分の部下を諭すかのような口調で話しかける。


「赤毛。死にたくなかったらすっこんでろ。あの”女神様”は尋常じゃあねェぞ?」




「アンタが言う台詞かよ!? 何だ、そのザマぁ・・・満身創痍じゃねェか。

まぐれとは言え、仮にも俺を負かした野郎が、情けねェにも程があるぜ。

ああッ、ムカつくぜ。まるでアンタに不覚を取った俺が一番弱ェみてーじゃねーか!!


オッサン、アンタこそ下がってろ。そのボロクソの機体で一体何ができんだよ。

むざむざ殺されに行く気か? 手前ェは自殺志願者かよ?」



「阿呆。男にゃあな、退いちゃならねェ時ってのがあんだよ。


良いか、小僧ォ。”敗北”ってのは死ぬ事じゃねえ。”敗北”ってのは、未だ余力があるのに立ち上がれねえ・・・ってェ、精神の屈服の事だ。

心で負けを認めた時が、俺にとっては人生の終わりだ。

負けたと思わなきゃ負けじゃねーんだよ。


それに、腕一本でも残ってりゃ、俺にとっては十分過ぎてお釣りが来らァ。


けっ、いざとなりゃコイツごと特攻して、奴ごと道連れで地獄に堕ちてやんよ。

武人として、戦場で散るのは本懐だぜ。」


ガードナーは訥々と己の哲学を語る。

他人の命は出来うる限り救わんとするこの男だが、而して自分の命はそれと同等だと思っては居ないのだ。

彼自身の命は、戦い続ける為の触媒にしか過ぎない。


生まれながらの戦士ナチュラルボーン・ソルジャー

それが”壊し屋”ロバート・ガードナーという男だ。



だが、ブラドは語り続けるガードナーの口上を、乱暴に断絶した。


「五月蝿ェ。何の足しにもならねェ説教みてーな話は聞きたくねーんだよ、クソジジイ。

”腕一本残ってりゃ十分”だって?

じゃあ・・・・・・」



ブラド機がビームサーベルを一閃させる。


イクリプスの残った左腕が宙を舞う。



「これでもう無理だな。もうその馬鹿でかい槍と斧を握る事もできねェ。」



抜けぬけとそう言い放つブラドに、ガードナーが怒りの声を投げかける。



「小僧ォ!!! 手前ェ、いきなり何しやがるッ!!?」



「喧しい!! ボリューム最大のままで怒鳴んな!!!

あのな、オッサン。俺ァよ、万全の状態のアンタともう一度戦いてェと思ってたんだぜ?

なのに今、俺の攻撃に全然反応できて無かったよな?

反応出来たとしても避けることも出来ねえ。


今の手前ェはその辺の雑魚以下だ!!

そんなザマで、偉そうにくだらねェ精神論語ってんじゃねえ!!

アンタがあっさりやられちまったら、俺が詰まんねえんだよ。


半死人は半死人らしく、地べたでくたばってろ。バーカ。」



ガードナーは返す言葉を失う。

言葉は汚いが、この小僧は自分の身を気遣っている・・・のか?

それとも、単に”戦闘狂”の本能が、好敵手を失う事を拒んでいるだけなのかも知れないが。



「それに、よ。

アンタの行ってる事、多分間違ってるわ。


あのインテリメガネが言うにゃあ、

”生きていれば何時かはチャンスが来る。だから、どんなに這い蹲ろうとも生命がある限り決して負けではない”。


ってことらしいぜ?」



「!? 小僧、おめェ・・・・・・記憶が・・・・」


その教えは、まさしく強化人間達に”生きろ”と薦め続けたアダムス・スティングレイの言葉。

記憶操作を受けたとしても、微かに、そして確かに彼らの中に息づく治療の成果。



「つーわけで。

アンタはここで退場な。もう十分暴れて満足だろ?

俺は未だ暴れたりねえから行くわ。


とっとと機体と体治して、俺と再戦しろや。

そしてまた楽しく殺し合おうぜ、オッサン?」


ブラドはコックピットの中で、前歯を見せて笑顔を見せる。

いつも何かに苛立ち、戦闘以外では決して前向きな感情を見せなかった彼が、今、確かに”笑った”。



「安心しろや。

アンタが倒せなかったあの化け物を俺が倒してやるぜ。

そしたら結果として俺が最強、って事になるしな。


この槍と斧、もう使わねーだろ? 借りてくぜオッサン。」


そう言って、落下した”グラシャラボラス”と”テスカトリポカ”を拾い上げるブラド。



「・・・・・ちっ、俺もヤキが回ったモンだぜ。

ああ、勝手にしやがれ。その武装は有る程度までなら通常のダガーでも扱える筈だ。

手前に扱える腕が有れば、だがな。」


5号機はイクリプスシリーズで唯一、エール装備を可能とした仕様。

”本体は武器の付属品”であるが故に”取替えが効く”という本末転倒の機体。


故に一般のダガーとの互換性は高い。



「ハンッ、ほざいてろよ。

しかし、随分物分りが良いじゃねえか?

もっと怒り狂うと思ったんだけど?」



怒りは完全に四散してしまった。


凶暴なだけだと思っていたこの強化人間が、自分を諭すような行為を見せた。

それがガードナーにとって、まるで息子の成長を見るような気持ちだった。



「オイ、赤毛。俺の仕事の邪魔しやがった事は、今だけ忘れといてやる。

但し、2つだけ約束しろ。これだけは必ず守れ。


”女神像は必ず破壊しろ”。あれは手に余る兵器だ。持ち帰ってどうこうする代物じゃねえ。


そして・・・・・・”嬢ちゃんと先生は必ず救出しろ”。

手前にとっても、あいつらは失いたくねェ相手だろ?


男ならやってのけろ。それが、俺がやる筈だった仕事をオメェに任せる必要十分条件だ。

コイツァ、男と男の約束だぜ?


いいな、”ブラド”。」


この時・・・ガードナーは初めて、ブラドの名前を呼んだ。



ああ、”ブラド”・・・・・赤い興奮に彩られた、俺の名前。

・・・・・俺だけの名前。


ブラド・バルバドスはゾクゾクと湧き上がる衝動を押し殺しながら、こう呟く。



「ああ、任せろよ、ガードナーのオッサン。


必ずあの化け物をぶっ殺して来てやる。


エヴァの馬鹿と先生は・・・・まあ、ついでに助けてやるよ。

・・・・ついでだからな、飽くまでも。勘違いすんなよ!


さあ、行くぜ!! 逝くぜェ!!!」



赤い炎を纏った狼が闘志を漲らせながら戦場へ舞い戻る。

どんな豪雨も、この炎を打ち消す事は出来ない。




*****



繰り返される一方的な殺戮劇。

この戦場に於いて”女神”の行軍を阻むものは既に無い。


禁断症状に見舞われたクリスと、身体の限界を迎えたエヴァ。

そして失血により意識を失いかけたアダムス。


そして、限界を迎えているのは追われる側だけではない。

追跡するパラディオンのパイロット、オズ・ウィザーズロッドの精神は既に罅割れ、擦り切れ、粉砕され始めている。


だからこれは”戦闘”ではなく、”戦争”でもなく、”闘争”ですらない。

彼ら全員の苦しみを加速させる等活地獄だ。



「殺す・・・・殺す・・・・殺すっ!!」

オズは殺意に塗れた精神を開放し、ターゲットを仕留めるべく襲い掛かる。



一合、二合と打ち合う毎に魂を削られるかのような衝撃。



「・・・・くふっ・・・・かはっ・・・・」

再びエヴァの口から溢れる喀血。

呼吸すらままならない苦しみの中、ほとんど無意識の行動で”トロイア”の猛攻を受け止める。



「・・・・落とす・・・・・しず・・める・・・」


今にも頭が割れるような激痛に耐えつつ、クリスがパラディオンにビームサーベルで切りかかる。

だがその攻撃は何なく、”アイギウス”の防御によって止められた。


再び攻撃を喰らい、地表へと吹き飛ばされるクリス機。


攻撃が通らない。そして攻撃を防ぎきる事が出来ない。



オズの正気が失われたとて、戦闘の技能は衰えを知らず。

雷光の如き猛攻と鉄壁の防御。

その力こそ、エクステンデット”完成体”と謳われる所以。

そして現時点で最も最強の座に近いMS”パラディオン”。


パイロットの技量の差と、機体の性能の差。

この二つを埋めるのは容易な事ではない。

例え彼ら全員の精神に、等しく負担がかかっていたとしても、だ。




放たれた”トロイア”の凄まじい衝撃によって、エヴァ機が体勢を崩す。

無防備の状態のエヴァ機に、再び襲い掛かる”トロイア”。


最早、哀れな子羊の如き彼女の機体は為す術も無く貫かれてしまうだろう、と見守る誰もが思ったその瞬間。


激しい金属音と共に、”トロイア”が弾き飛ばされ、軌道を変えてエヴァ機の横を擦り抜ける。



驚きと共に眼を見開いたエヴァの視界に映し出されたのは・・・・

巨大な旋角槍ドリルランスを回転させながら、パラディオンと彼女のダガーの軌道上に威風堂々と立ち塞がる赤いダガー。



「いよう、エヴァ。未だ生きてっか?」


「・・・ブラド!!」


ブラド・バルバドスの些か場にそぐわない陽気な声。

エヴァは歓喜の声を上げる。



「何だよ、オイ。しけた声だしてんじゃねェ。

いつもの調子で、アホみたいにキャンキャン騒いでろよ。その方が手前ェらしいぜ?


先生も未だくたばっちゃいねーよな?」



「うん・・・うん。助けに来てくれたんだね?

ありがとう、ブラド!」



彼の記憶操作は既に解けているようだ。


いつもの・・・ブラドの憎まれ口が、今は何にも増して頼もしい。

エヴァは彼女の身体を蝕む病魔による肉体の苦しみを一瞬忘れた。



「馬ァ鹿。誰がお前らなんぞ助けるかよ。

俺ァただ、そこの野郎と闘り合いたいだけなんだよ。勘違いすんじゃねェ。


半病人はすっこんでな。足手纏いだ。」


どこか照れたようなブラドの声。

勿論、強敵と戦う事は彼にとっては何にも替え難い喜びである。

それは嘘ではない。


だが・・・・・今の彼は、二つの”約束”を交わしている。

ガードナーとの”男の約束”。




・・・・・・それも一興だ、とブラドは思う。

”約束”を交わすのも、誰かを守る為に戦うのも、彼にとっては初めての経験なのだから。



「ブラド・・・・・・あの機体は・・・・オズ君はとんでもなく強いよ?」



「知ってンよ、んなこたァ。

だからこそ”闘り合う”っつってんだろうが。」



エヴァはそれ以上の言葉を続けるのを止めた。

昔から・・・・・この少年は、周りの人間の意見なんてこれっぽっちも聞かないんだから。

彼女は微笑み、彼にこう告げる。



「ブラド・・・・・一緒に、オーブに行こうね。先生とクリスと・・・・・皆でまた一緒に・・・・」



ブラドの心臓が、ドクン、と脈打つ。

彼は戸惑う。

自分に闘争本能以外の感情が湧き上がってくる感覚を感じて。


この女は・・・・何時だって、こうやって自分のペースを乱すのだ。

気に入らない。


いや、こいつだけじゃ無い。

あの偽善者ぶったインテリメガネのアダムスも、生っ白いモヤシ野郎のクリスも、説教好きの熊親父ガードナーも・・・


皆、自分の心に小石を投げ入れ、波紋を広げる。


俺は殺し、殺されるためだけに戦場に赴いているというのに。

奴らと関わっている内に・・・それ以外の目的が欲しくなる。

少しずつ、自分が変わっていく感覚。


しかしそれは、決して不快な感情ではない。



だから彼は、ぶっきら棒に呟く。


「ああ、それも・・・・悪かァ・・・無ェな。」




ブラドは、ガードナーから譲り受けた螺旋突撃槍グラシャラボラスを、パラディオンの方角へ向けて突きつける。

そして声を張り上げてこう言った。



「へっ。さあ、行くぜ、逝くぜ!! ただし・・・・・逝くのは手前ェ一人だ。

俺たちは、この先の”未来”へ行く!!」




*****



オズは、突然割って入ったこの闖入者を、冷めた眼で見つめながら呟く。


「・・・・・旧型風情がっ!

今更何をしに来た?

殺す標的が一人増えただけの事。

予定に何ら変わりは無い!」



ブラドはその言葉に吐き捨てるような口調で叩き返す。


「何しに来た、だァ?

決まってンだろ。手前ェをぶっ殺しに来たんだよ。

”旧型”? ハッ、くだらねェ。古いだの新しいだの、グダグダと勝手に人を分類しやがって。そんなモン俺が知るかよ。

勝負はやってみなけりゃ解らないもんだぜ? ”坊や”。」


ブラドの挑発。

二人の間に不穏な空気が漂い始める。



「そうか。ならば試して見るがいい、”旧型”!!」


「ああ、遠慮なく行くぜェ!! ”新型”!!」




ぶつかり合う二人の”強化人間”。



”生体CPU”としての性能は”完成体”たるオズが上。

機体の性能は、言うまでも無くパラディオンが勝っている。


だが、ここに至るまでの戦闘による疲労度は明らかにブラドの方が少ない。

既に精神の均衡を失い、冷静さを失ったオズには、ガードナー戦で見せた”読心”の追尾トレースはもう使えない。

そして、虎の子の装備の一つである、自動追尾拡散ミサイル”二ケー”は既に使い切ってしまっている。

対して、ブラドのダガーは現在、通常の武器をはるかに凌駕した威力を持つ、”グラシャラボラス”と”テスカポリトカ”の2種の武器を有している。



しかし・・・・それらを総合しても、この勝負、ややオズとパラディオンの方に分があった。

ブラド機とて無傷では無いのである。

皮肉にも、それは彼に後の事を託したガードナーとの戦闘時に負った傷だ。


ダガーの左肩の不具合が、防御を一瞬遅らせる。

持ち主の意思を反映して自在に飛び回る”トロイア”が、次第にブラド機を追い詰めつつあった。



「その程度の腕で、私を倒すだと? 自惚れるな旧型!!」

吼えるオズ。


「・・・・・畜生、当たらねェ。何てスピードだよ、このデカブツ・・・」

ブラドの苦悶。


イクリプスの持ち物であったこの2種の武器は、威力を重視する余りに命中精度を極端に低くなってしまっている。

この武器を使い慣れたガードナーですら、パラディオンに攻撃を命中させる事は終ぞ出来なかったのだ。


一朝一石に扱える武器ではない。

そして、互換性が有るとは言え、別の仕様の機体用に作られた武器を、他の機体が使う事によるOSと実際の動作のズレは修正されていない。



焦りを募らせるブラド。



その時、パラディオンの後方から飛来するビームライフルの弾道。


「・・・破壊・・・する・・・!」


クリスのダガーが再び前線に舞い戻ってきたのだ。


何度もパラディオンと交戦し、既に満身創痍の姿で。

身体と精神を禁断症状に蝕まれ、息も絶え絶えながらも不屈の精神を持って。

何度弾き飛ばされても、舞う事を止めぬ白鳥は、ボロボロの翼を羽ばたかせる。




「・・・死に損ないが・・・

貴様ら旧型は何故、揃いも揃って諦めが悪いのだ?

大人しく落とされればこれ以上苦しまずに済むものを!!」



オズの問い掛けに、クリスは叫ぶように答える。


「・・・・”未来”が・・・・俺たちを・・・待っている!!

だから・・・俺は歩き続けることを・・・止めない!!

決して・・・・死にはしない!! ・・・決して・・・死なせはしない!!」



胸に開いた空洞は既に針の穴よりも小さく収束し、彼の秘めたる熱き思いを一滴たりとて取りこぼす事は無い。

だから恥も外聞も体裁を取り繕う事も無く、彼は叫ぶのだ。


”生きたい”と。


アダムス・スティングレイが教えてくれた、生きる事の尊さ。

故に、彼は執着する。

待ち受ける”未来”に向かって歩き続ける事に。




ブラドはクリスのその様子を目の当たりにし、口の端を持ち上げて笑う。


「よォ、モヤシ野郎。

気分はどうだ? ・・・何だ、もうグロッキーじゃねーか。情けねェ。

だから手前ェは貧弱だって言うんだよ。」




クリスはその通信にかすれた声で答える。


「五月蝿い・・・黙れよ・・・狂犬野郎。

早々に落とされて・・・今まで休んでた奴と・・・一緒にするな。」




「けっ、相変わらずムカつく野郎だ。

手前ェは何時だってそうやって口先ばっかり威勢が良くて、直ぐにバテやがる。


・・・・・・・ああ、前にもこんな事があったっけ?

・・・・野球。そうだ、アレは・・・・野球だ。

手前ェ、7回の裏辺りで貧血起こしやがって・・・」



「・・・一体・・・何時の話だ・・・それは・・・

全く・・・覚えが・・・無・・・」



・・・・・思い出した。

二人の脳裏に鮮明に、過去の記憶がフラッシュバックする。


それは彼らが研究所へと送られる前の記憶。

未だ彼らが、”人間”としての生を過ごしていた頃の・・・幼少の頃の孤児院での記憶。



あの時、確かに彼らは友人同士であった。家族の一員であった。

どうして・・・忘れてしまったのだろう。


記憶をいじられただけで簡単に忘れてしまう程、人の思い出は果敢無い物なのだろうか・・・?




「へっ・・・・・良くやったっけな。”キャッチボール”。」



「ああ・・・日が暮れるまで・・・飽きもせずに・・・毎日・・・毎日・・・」




激しい戦闘を続けながら、彼らはお互いの思い出を語る。


しかしその動きは衰える所か、精彩を増して行く。




「貴様ら・・・何をしている! 戦闘中にブツブツと・・・」


オズは苛立ちを募らせる。

確実に仕留められるはずの攻撃が、次第に紙一重でかわされる様になったからである。




「・・・手前ェにゃあ、解らねーだろうよ。

なあ手前、やった事ねェのか? キャッチボール。」



ブラドの唐突な言葉がオズを混乱させる。


「何? ・・・訳の解らん事を。死への恐怖で気でも触れたか?

キャッチボール? そんなもの、戦闘に必要の無い技能だ。

下らない。」



それを聞いて、クリスが皮肉めいた口調で呟く。


「・・・成る程・・・良く解った・・・やった事が無いんだな?

ならば・・・お前の・・・負けだ・・・”新型”!」




突如。

ブラドが左腕にはめた円盤斧テスカトリポカをパラディオン目掛けて投げつける。


パラディオンはそれを難なくかわした。



「不意打ちの心算か!? そんなスローな攻撃を喰らうものかっ!!」


そしてこの円盤斧は弧を描いて、持ち主の下へと還っていく。

戻る際にもう一段の攻撃を加えながら。

そういう性質の武器。既に見切っている。


・・・・・・・はずだった。



パラディオンの背後にクリス機が素早く回り込み、放り投げられた”テスカポリトカ”を受け止め、更にそれを遠心力を利用して機体の首筋目掛けて投げつける。

パラディオンの右肩に突き立てられる円型斬艦斧!!


オズは、予期せぬ行動により、予期せぬ軌道を描き、予期せぬスピードで放たれた二段目の攻撃を防御する事は出来なかった。


機体を揺さぶる激しい衝撃。


「な、何だとォ!!?」


体勢を崩したパラディオンの隙を、ブラドは見逃さない。


そのまま、螺旋突撃槍を構え、一直線にパラディオン目掛けて突っ込むブラド機。



「ォォォォォォオオオオオ!!! 喰らいやがれェェェェェェ!!!」


絶叫と共に眼前に迫る旋角ドリルの回転。

咄嗟に攻盾アイギウスを構えるオズ。


だが、ブラドの渾身の一撃は止まる事無く、盾すらも破壊し、パラディオンの左腕を完全に粉砕した。



「う、嘘だ・・・・・”母さん”が・・・・この程度で・・・・」


”トロイア”を放とうとするオズ。

しかし、右肩に深々と突き立った”テスカトリポカ”の影響か、右腕を動かすことは適わない。



「負ける・・・・・この私が・・・・・・母さんパラディオンがっ!?

馬鹿なっ!!!」



ブラドは、確かな手ごたえと共に、自らの勝利を確信する。


「そうだ。手前の負けだ。

敗因は・・・・・簡単な事だ。


俺たちが二人。手前が一人だった、ということ。

知ってるか? ”独り”じゃ、キャッチボールは出来ねえんだ。

どんなに頑張っても・・・な。

唯、それだけのことだぜ、”新型”ァ。」



*****



「二ール様っ!! ・・・・兄さん・・・・兄さんっ!!

ご指示を!! 私に命令を与えて下さいっ!!!」


既に意のままに動かなくなったパラディオンのコックピットで、オズは二ールに助けを求める。

だが、通信は返ってこない。


当然の事だ。返答できる筈は無い。

二ールの首はこのとき既に、暗殺者の介入によって、胴体と永遠の別れを告げていたのだから。



「兄さん!! 何故黙っているのです!? 返事をして下さい・・・・・」


オズは半狂乱でガチャガチャと音を立ててレバーを動かし、何度も操作ボタンを押し続ける。


「動いて・・・動いてよ、母さん・・・どうして・・・こんな・・・くぅぅぅぅ・・・」



動かぬ”母”。何も言わぬ”兄”。

それが彼の精神の崩壊を加速させた。



「嫌だ・・・僕を・・・独りにしないで・・・

独りは嫌だ・・・独りは嫌なんだ・・・・・・」


全ての支えを失い、幼児の如く泣き叫ぶオズ。


何かに寄りかかって生きようとした。

だが、誰一人として助けてなどくれなかった。


今までも、この瞬簡に於いても。



そんな彼の声を聞き、ブラドとクリスは呆気に取られて見つめる。



「何だァ、コイツ・・・・・急にガキみたいに・・・・さっきまでの偉そうな態度と威勢はどうした?」



「・・・完全に・・・壊れたか・・・? ・・・だが・・・チャンスだ。

今の内に・・・止めを・・・刺すぞ。」



早期に決着をつける必要があった。

そうしなければ、最早彼らの体の方が持ちそうに無い。


クリスやエヴァの身体は勿論、ブラドの身体も次第に禁断症状を訴え始めていた。

何よりも、アダムスが重症を負ってからもうかなりの時間が経過している。


これ以上の時間のロスは避けたかった。




だから二人は躊躇無く、半壊したパラディオンに向けて武器を構える。

満身創痍で戦意を喪失していると言っても油断は出来ない。


この機体もパイロットも、生かしておくには危険過ぎる存在なのだ。


先ほどまでの戦闘で身に染みて解っている。確実に仕留めなければ、やられるのはこっちだ。




だが、二人が攻撃を仕掛けようとした、その時。

エヴァのダガーが、パラディオンの前に庇うように立ち塞がり、両手を広げてそれを制する。



「ちょっと・・・待って。お願い、二人とも・・・武器を引いて。殺しちゃ・・・駄目。」


懇願するエヴァに、ブラドが怒鳴り声を上げる。




「何をしていやがる、エヴァ! 気は確かか? そこを退け。そいつは手前ェを殺そうとしやがった敵だぞ!?」


エヴァは大きく首を横に振ってそれを否定する。



「違うの。この子は・・・犠牲者なの。あたし達と同じ。

軍の都合で身体を弄られて、戦わされて・・・”未来”を奪われた。


だから、殺さないで。お願いだよ・・・」



クリスが諭すようにエヴァに声をかける。


「馬鹿な・・・敵に情けを・・・かけるなんて。

そいつを助けて・・・一体どうしようって・・・言うんだ?」



「・・・この機体の損傷じゃ、彼はもう戦えないよ。だからもう良いでしょ?

あたしは・・・助けたいの。目の前で苦しんでいる人を。


せんせぇがそうしたみたいに。」


エヴァは掠れた声でそう呟く。

自らの生命すらも次第に弱っていくこの状況下に於いて。



アダムスが、それを聞いて満足気に微笑む。


「エヴァ・・・君は・・・」



自分が言いたかった事を実践してくれた。

彼女はもしも生きてこの戦場から逃れられる事が出来たなら、きっと立派な医師になる事が出来るだろう。


心からそう思った。




エヴァはパラディオンの方へ機体を向け、優しい声色で通信を入れる。


「オズ君・・・聞こえる?

もう戦いは終わったのよ? 安心して?

もう怖い事なんて何も無いの。そんなに怯えないで。


・・・・君も一緒に、私達と来ない?

そこにはきっと・・・・・・失われた”未来”がある。


ねえ、一緒にオーブに行こうよ、オズ君。」



エヴァはそう言って、既に機能を停止したパラディオンのコックピットに手を伸ばす。




オズの精神は未だ混乱の淵を彷徨っている。

エヴァの言葉。その誘いは素晴らしく甘美な魅力を伴って、彼の心に入り込む。


一緒ニ・・・行ケバ・・・僕ハ・・・幸セニナレルノ?


安らぎが彼の身体を包む。


だが。



頭を過ぎるのは、彼の”兄”の言葉。


『そうだよ、我が愛する”弟”よ。この件が片付いたら、ボクとパパと三人で一緒に暮らそう?』


・・・・・・・・嘘つき。

そう言って貴方は僕を独りにした。



”父”は、全ての試験を終えた僕を呼び戻してくれた。

息子として受け入れてくれるものだと思った。

ずっとそれだけを信じて、過酷な実験に耐えて来たのだというのに。


貴方は一度として、僕を名前で呼んではくれなかった。




嘘つき。裏切り者。



もう、僕は・・・・・誰も信じない。


信じて傷つくのは・・・・・もうたくさんだ。

人は最後には必ず裏切るんだ。


僕の事など、心の片隅にすら留める事すらなく。




生れ落ちて十数年。

裏切られ続け、利用され続け、虐げられ続けた彼の記憶が、エヴァの申し出を受け入れることを本能的に拒否した。




だから彼は、既に動かなくなったパラディオンの操縦桿を、狂ったように動かして拒絶の言葉を吐く。


「来るな・・・・来るなっ!? そうやって、また、僕を騙そうとしているんだろう?

もう嫌なんだ。嫌なんだよぅ・・・・・・


信じるのも、裏切られるのも、傷つけられるのも・・・・・


あっちに行け!! 近づくなっ!!! 僕に・・・・触るなァァァァァァァ!!!!」





その時、機能停止した筈のパラディオンのツインアイに、一瞬だけ灯が灯る。


・・・”息子”を守り続けたこの機体が、彼の身の危険を感じて再び力を貸したのだろうか?


否、それは唯の偶然であろう。

エネルギーの残滓が、偶々この時、操縦桿の動きに呼応しただけに過ぎない。

そう・・・唯の偶然。


但し、悪意ある神の掌の上で行われる、”必然”という名の”偶然”。


運命の神は、何時だって残酷だ。



一瞬だけ機能を取り戻したパラディオンの右腕が僅かに動き、オズが半狂乱で押した射出ボタンによって・・・・・・



”トロイア”がエヴァ機の胸部を無惨に貫く。



「えっ?」


「あッ?」



エヴァとオズは、同時に短い叫びを漏らす。

それは両者に取って、予想だにしなかった一撃だったのだから。



激しい衝撃に見舞われて、パーツを四散させながら堕ちて行くエヴァ機。


呆然とそれを見つめる、オズ。ブラド。クリス。



時が止まった。


永遠とも思える静寂。

それは実時間にすればほんの刹那の出来事。

しかし、確かに彼らの運命を変え、”未来”を剥奪した一撃。



*****



堕ちて行くダガーのコックピットで、エヴァは自嘲気味に微笑む。


「・・・ゴメンね、せんせぇ。

あたし、偉そうな事言って・・・・・・結局誰も救えなかった。

せんせぇも、オズ君も・・・あたしが守る、助けるなんて言ってさ。


結局独り善がりだった。

えへへ。駄目だね、あたし。

あたしは・・・”何にもなれなかった”。


・・・・ゴメンね。クリス。ブラド。

一緒にオーブに行こうって・・・・・・約束したのに・・・・


あたしが・・・馬鹿だから。

あたしの所為で・・・・・あたし・・・・・」



不意に、エヴァを後ろから抱き寄せるアダムスの腕。

暖かい。死を前にした人間の体温とは思えない程に。


「・・・・・良いんだ、エヴァ。君は良く頑張った。

精一杯の事をやった。だから・・・もう良いんだ。

自分をそんなに責めるな。


誰も君の事を恨んでなんていない。

少なくとも僕は・・・・・君に救われた。

君のお陰で、進むべき道を見出した。


君に出会わなければ、僕は今でも、ゆっくりと死んでいくだけの生を送っていただろう。


ありがとう、エヴァ。」


アダムスの吐息と優しい声がエヴァの耳をくすぐる。


「せんせぇ・・・・・」

朦朧とした意識の中で、エヴァはアダムスの顔を見つめる。

酷く・・・安らいだ気分だ。


痛みも苦しみも、もう感じない。


そして、アダムスはエヴァの耳に口を寄せ、静かに、そしてはっきりと呟いた。


「愛しているよ、エヴァ。」



*****



「・・・・う・・・・うぁ・・・うああああああああああああああ!!??」


オズが絶叫する。

殺した。

自分が殺した。

差し伸べられた手を振り払って。

自分を救おうとした少女を。

自分が好きになった少女を。

”未来”を与えてくれるかも知れなかった存在を。


罪悪感。焦燥感。自己嫌悪。悲哀。憤怒。後悔。

入り混じる様々な感覚。




「エヴァーーーーーー!!! 先生ーーーーーー!!」


クリスは叫びながら機体を駆り、堕ちて行くエヴァのダガーに手を伸ばす。

クリス機の指先がエヴァ機の手に僅かに触れた。


届かない。

擦り抜けていく。零れ落ちていく。

それは海岸の砂の様に。





「手前ェェェェェェ!!! 何で攻撃したっ!? 何で殺したっ!!? 畜生、畜生ォォォォォォ!!!」


ブラドは湧き上がる怒りに任せてパラディオンを攻撃する。

一撃、また一撃。


パラディオンの頭部はひしゃげ、火花を散らせ始める。

”女神像”が、略奪を受けた神殿の守り神の様に破壊され、凄まじい勢いで吹き飛んで行く。




そして二人は、ダガーを急降下させ、エヴァ機の落ちた周辺の森林地帯を、木々をかき分けて歩み始める。



「エヴァ!! 応答しろ!! 先生!!! 無事か!! 返事をしろ!!!」



「・・・どこだ!!? ・・・どこに落ちた!!? 信号弾を・・・放て・・・・エヴァ!!

生きているんだろ? ・・・・先生!!」




二人は捜し求める。


同じ時を共に過ごした”仲間”を。


共に歩もうと誓った”家族”を。 


迷い子の様に捜し求める。


半身を失ったような感覚が、二人の胸を締め付ける。




何時の間にか、眼窩から熱い雫がとめどなく流れ落ちていた。


それは降り続く雨粒のように。


それは彼らが、彼らであるが故に流す慈愛の雫。

それは彼らが人間としての心を失ってはいない事を示す証の涙。



この先、彼らを待ち受ける運命が、どのような物だったとしても。

それぞれが違う道を歩んでいくとしても。

例え、記憶操作を受け、今日の日の出来事を全て忘れ去ってしまったとしても。


彼らが流した涙は、決して消え去る事は無い。

永遠に。



*****



オズ・ウィザーズロッドは、自らに未だ生命がある事を悟り、激しく天を睨む。


どこまで自分を翻弄し、嘲笑う心算なのか?

運命を呪い、自分の生を呪った。


体中が軋み、大量の血液を流したとしても、生半には死ねぬ、この忌まわしき身体。

戦闘の為に特化された強化人間の証。


大罪を犯して尚、自分の意思に反して生きながらえる事は拷問だ。


のうのうと自分だけが助かったという、重い十字架の様にのしかかる罪悪感を加えて生き続けなくてはならないのだから。


だから・・・・・・彼は、生まれて初めて、運命に逆らう事を決意した。



「もう・・・良いだろう? 僕の生に、意味なんて最初から無かったんだ。

僕は最初から存在なんてしていなかったんだ。


・・・・・もう楽にさせてくれ。

凄く・・・疲れた。」



自爆スイッチを指でなぞる。

良かった。


この機能だけは未だ、使えるようだ。


これでやっと・・・・・開放される。

苦痛しか存在しない生から。



躊躇いも無くスイッチを押す。

始まるカウントダウン。


・・・・・・死ぬ直前は、走馬灯の様に思い出が過ぎる、と良く聞くが、あれはどうやら嘘のようだ。

何も・・・感じない。

・・・当たり前、か。思い出したくない思い出しか・・・・・僕には存在しないのだから。


早く・・・時が進めばいい。




ふと、懐かしい香りがオズの鼻腔をくすぐる。

干草の匂い。木の匂い。動物の匂い。

これは・・・牧場の匂い。


オズの眼に、薄汚れた天井が映る。

いつものパラディオンのコックピットに居た筈なのに。

ここは・・・・どこだ?



次に、彼の顔を覗き込む、美しい女性の顔が映る。

オズは自分の記憶を辿る。

この人・・・どこかで会った事が・・・



女性はオズの身体を抱かかえ、あやす様にして語りかけてくる。



「御免ね。私の愛しい坊や。

・・・・・ずっと傍に居てあげたかった。


でも、私の命は・・・もう持たないみたい。

神様、せめてこの子が健やかに育ってくれますよう・・・

私の命を代わりに捧げます。


せめて魂は、常にこの子の傍にあらんことを・・・」



ああ・・・そうか・・・この人は・・・


それは幻。

死を間際にした幻覚。


彼は母親の顔を知らず、母親もまた生まれてくる彼の顔を知らなかった筈なのだ。

だからこんな場面は有り得ない。


それでも・・・・・・オズは、生れ落ちて初めて、神に感謝した。

オズはその女性の頬に手を伸ばす。



「やっと会えたね・・・母さん。

ずっと・・・傍に・・・居てくれたんだね。

これからは僕が傍に居てあげるよ・・・ずっと・・・一緒に・・・」




爆音と共に、閃光が走る。


かくして”女神”は天に還った。


最後の奇跡を地上に残して。



*****



灰色の空が目に映る。


未だ生命の灯火は完全には消えていなかったらしい。

木々がクッションになって、落下の衝撃を食い止めたのだろうか?

神様も粋な計らいをしてくれるものだ。

ほんの気まぐれに。


ハッチは既に吹き飛ばされ、むき出しのコックピットに降り注ぐ雨。

アダムス・スティングレイは、腕の中に固く抱きしめたエヴァの顔を愛しげに見つめた。



思い出すのはあの時の先輩の言葉。


『医師は決して、患者と男女の関係になってはいけない』



医師として、彼女を救おうとした。

しかし、それは終ぞ適わなかった。



自分は命ある限り、医師であらんとした。

だが、今はその生命も失われようとしている。



ならば・・・僕はこの瞬間、医師である事を忘れよう。

誰も救えなかった藪医者の、最後に出来る救済。



今だけは医者と患者ではなく、二人の男と女として。

この娘の最後の願いを適えてあげたい。



彼女は言った。

『好きな人と結ばれる事。これだけは適えたい』と。


アダムスは、冷たくなって行くエヴァの頬に両手を添えて、そっと接吻をした。



雨は降り続ける。

時の女神アイオーンの流す、永遠の涙。


せめてこの瞬間が、永遠に続けば良いのに。


否、それももう望むまい。


来世で出会えたなら、きっと今度は・・・




誰も救えなかった医師と、”未来”を手に入れることが出来なかった少女。

結局彼らは何も手にする事は出来なかった。


だからこの物語は”悲しい喜劇”。


しかし、死を前にした彼らの表情は穏やかで、幸福そうに見える。

生きている限り、決して結ばれる事の無かった二人。

皮肉にも死を持って結ばれた二人。


だからこの物語は”優しい悲劇”。



慈愛の雨は振り続ける。

二人の門出を祝福するように。




≪PHASE-09へ続く≫