PHASE-04 Laclyma Christi

一人の少年の話をしよう。

この者の人生が、物語の根幹を為す存在の一つで有るが故に。



少年は、その瞬間を母親以外誰にも知られることなく、馬小屋にてこの世に生を受けた。


この子は決して万人に望んで生まれて来た存在ではなかった。

母親である女性の雇い主たるこの屋敷の主人が、有る日、気まぐれに使用人である彼女の身体を弄び、その時の結果がその赤子の誕生であるが故である。


幼い頃からきちんとした教育を受けていなかった彼女は、自分が子を宿しているという事実にすら気付く事が出来ず、自らの腹が目に見えて大きくなるまで、
通常の業務を続けていたのである。


出産に関して彼女は使用人の仲間にも相談する事はなく・・・・・否、相談など出来なかった。

主は、何かと黒い噂の絶えない”ロゴス”と呼ばれる巨大軍需産業の幹部であり、その主に私生児がいる等と知れたら一体どの様な波紋が広がる事になるだろう?


実際、主には正妻との間に既に9歳になる息子が居て、この子がいずれは家督を継ぐ事が決まっていた。

後継問題にも影響するかも知れない。


そうなれば当然、堕胎せよとの命が下されるだろう。



・・・しかし、彼女はそうしなかった。

己の初めての実子である。例え愛した者の子で無かったとしても。

彼女は”母親”になりたかったのである。

既にこの世を去った、自らを育ててくれた彼女自身の老いた母のような。



彼女は使用人の仕事を自ら辞し、僅かばかりの金と食料を盗み出して何処かへ消えた。



彼女は身重のまま、放浪を続け・・・・・雨をしのぐ為に立ち寄ったとある牧場の馬小屋の中で、赤子を産み落とす。


そして十分な食事も取らず、長い逃亡の旅を続け衰弱した彼女の体は、出産という行為に耐えるだけの余力を残しては居なかった。

生まれて来た愛すべき我が子との対面を果たさぬままに、母親は息を引き取った。



次の日の早朝に、彼女の遺体と生まれたばかりの赤子を見つけた、その牧場の息子は後にこう語る。


その赤子は、決して泣き叫ぶ事無く、冷たくなっていく母親の身体に寄り添ったまま、何かを欲するような眼でこちらを見つめていた、と。



今から15年を遡った昔の話である。



赤子は生後しばらくは牧場主の手により保護され、彼の女房が乳を与え、食事を与えて育てていたのだが、後にこの地方では最も有力な名士である、ラガン家の者達がやって来て門を叩き、

乱暴にこの赤子を奪い去って行った。



「この子の事はもう忘れろ。さもないと命は無いと思え。」


そう言って大金を夫妻に渡して口止めした男の目が、その言葉が決して冗談などでは無い事を物語っていた。

牧場主夫妻は震え上がり、赤子を抵抗する事も無く男達に渡してしまう。




かくして、物心もつかぬ内から、様々な人間の闇を覗き込んだこの赤子は、程なくして屋敷に連れ戻された。

”父親”の元に・・・


問答無用で殺されたりする事は無かった、という事実は、果たしてこの子に取って、幸福な事であったのだろうか? それともそれが不幸の始まりだったのだろうか?


彼はその頃、連合軍が密かに立案していた、”強化人間プロジェクト”の実験体として、施設に送られる事になったのである。

遺伝子的な情報を調べてみると、この子の”適性”は、1000人に一人の逸材であったが為。

または身寄りの無い子供を、非合法的に調達する手間を省く為に。


彼の”父親”は、まるで売られていく家畜でも見る様にその赤子を見下ろしただけで、その決定を下した。


こうして、この哀れな赤子は、生みの親から名前すら付けられる事も無く、後の自らの人生を決められ、義務付けられた。



この赤子が、”少年”と呼ばれる年齢になる頃には、既に強化人間に関する研究も大詰めを迎えていた。


そこでの試験の全てに於いて優秀な成績を修めた彼は、研究者達から認識番号ではなく”通称”と”称号”を与えられる事になる。


万能の魔法使い”オズ”という通称。

万能なる魔法の杖を意味する”ウィザーズロッド”の称号。


愛着ではなく、便宜上名付けられただけの名が、彼にとっては初めての”名前”。

それでも彼は心が打ち震える位に感動した記憶を忘れない。


全てのカリキュラムを消化した彼、”オズ”がまず初めに望んだのは、”父親”の元に帰りたい、という事。

”父親”の役に立ちたい、という希望。



アーチボルト・ラガンは、自らの戸籍上は存在するはずの無い、この”息子”を望んだ通りに自分の元に呼び寄せた。

但し、決して自分を”父”と呼ぶことは許さず、彼の息子を”兄”と呼ぶことも許さず・・・・


ただ訥々と、冷淡な目で、自分が研究に投資した分の働きはせよ、と再会したオズに語ったのみ。


そして、彼に一つの使命を与えた。


「我が息子・二ールの手足となり、道具となり、糧となり、一生をその為のみに捧げよ。」と



”魔法の杖”は、彼らラガンの欲望を満たす為だけに存在することを許された道具。


”魔法使い”は、決して自分の望む事柄の為には、その魔法を使ってはいけない。



それが、オズ・ウィザーズロッドに与えられた制約。


彼はそれをただ忠実に、何の疑問も抱く事無く受け入れる事にした。



アーチボルトは、不快そうな表情すら見せる事無くこちらに従う、その盲目的なまでの忠誠心に、この幼い少年を心底不気味だ、と思った。


そして成長する事に、次第に彼の母親に酷似していくオズの容姿も、まるで自分に対する彼女の呪いの様な気がして、落ち着かなかった。


既にあの、自分の過去の汚点でもある、使用人の娘の名を思い出すことは出来ない。

ただ辛うじて、その顔が田舎娘とは思えぬ程に美しかった事だけは覚えている。




彼は、”愛する息子”二ールに、この新しい玩具を与えた。

二ールが幼い頃からそうして来たように。


息子が欲しがるものを望むがままに与える事。


それが、我が子への愛情であるとアーチボルトは頑なに信じているのだ。


そして何時かは、自分では手にする事が出来なかった権力を、二ールの将来の為に与えてやろう。


この”魔法の杖ウィザーズロッド”は、その野望の為の第一歩なのだ。


そう公言して憚らないアーチボルトの目には、サディスティックな狂気が浮かんでいた。



*****



「なんとも胸糞の悪くなるような話だな、オイ。」


ジョーカーから、”オズ”についての報告を聞いたロバート・ガードナーは、その太い眉を顰めて呟く。


血を分けた実の子を、まるで豚か何かのように扱いやがって。

アーチボルトの虫も殺せぬほどに温厚な紳士、という大外的な体裁は、どうやら唯の仮面であったようだ。


そして、自分の”異母兄弟”を召使いの如く扱う二ールについても。


この親にしてこの子有り、か。

二ール・ラガンがあのような性格になってしまった理由も理解できようというものだ。



「おや? 同情ですか? そりゃそうですよね。私めも、この話を聞いたときはもう、哀しくて悲しくて涙がちょちょ切れちゃいましたからね。

ひひひひひひ。」


ジョーカーのおどけた素振りを見ながら、コイツは絶対にそんな風には微塵も思っていない、と、ガードナーは確信する。


きっと、この得体の知れない情報屋は、他人の不幸をオカズにして飯が食えるような性根の持ち主だろう。

根拠は無いが、そう直感できる。


「馬鹿言ってんじゃねーよ。まあ、俺ァ手前とは違って、心優しいナイスガイなもんでよ。

ちっとばっかしセンチな気分になっちまったのは認めるが。


んまあ、人様んちの事情に口を出す事はねェわな。


とりあえず、”女神像”は損傷問わずに奪還せよ。破壊しても構わねェ。

”魔法の杖”も然り、ってな指令だったし。


MSの方は、原形留めねえ位壊す心算だったが・・・・

なるべく殺さねーで捕まえてやっかな。オズってガキはよ。

あと、ラガン親子はぶっ殺すけどな。個人的に。


”生殺与奪”は俺の権利だからよ。チャンドラにも口は出させねーよ。」


ガードナーは静かにそう吐き捨てた。


「・・・・・”生け捕る”ねえ。

加減して戦えるような相手だったら良いんですがねェ。

・・・あっ、いや、決してロバートさんの実力を過小評価してるわけじゃあありませんよ?

可能性の話をしている訳でして、その・・・」


ガードナーに睨みつけられ、萎縮して焦り出すジョーカーを尻目に、ガードナーは次の質問を投げかける。



「んな事よりよ、アーチボルトの方は未だ尻尾見せねェのか?

あのジジイ、他にもたくさん悪どい事やってんだろうが。


とっとと更迭して、暴れさせろよ。

手前がストレス溜まる様な話聞かせるから、もう、直ぐに全部ぶっ壊しちまいたい気分だぞ?」



「未だですねえ。あの御仁。そういう過去の形跡を消すことにかけては超一流みたいで・・・

洗えた情報は、さっきみたいな”実は隠し子がいた”とか、比較的どうでも良いような話ばかりで。

その位の手腕が無ければ、ロゴスの幹部なんて務まりませんがねえ。ひひひひひ。」



「けっ、存外使えねェな、手前もよ。

あーあ、何にも考えずに暴れてーな。

あの馬鹿息子、自分から問題起こしてくれねェかな? トチ狂って研究所の強化人間共を私物化して暴走とか。

そしたら”鎮圧”って名目で兵動かせんだけどなあ。」


ジョーカーは呆れた様にそれに答える。


「ちょっと、落ち着いて下さいよ。

いくらあの二ール殿でも、そんな馬鹿な真似をするほど分別の無いお方では無いでしょう。

どちらかと言えば、知能はむしろ高いみたいですし。総じて悪知恵ですけどね。ひひひひひ。


もう少し落ち着いて事を見守って下さいな。

・・・・・・・ご依頼の”イクリプスの5号機”は速やかに搬入させましたが故に。


あと、”へカトンケイル”構成員20名とダガータイプを相当数。何時でも出兵できます。」



それを聞いて、身を乗り出して喜ぶガードナー。


「おお、そうか。ご苦労。

仕方ねえ。もうちっとばっかし粘るとするかねェ。


野郎共にゃ、タダ飯食ってサボってねーで、しっかり体と機体はあっためとけって伝えろや。

”有事”に備えて戦闘配置、って奴だ。研究所の近くに待機しとけ。」


そう言って、ガードナーは目の前のローストチキンを鷲掴みにして、ガブリと貪りつく様に噛み切った。


「あと、コレも一字一句間違わねーで伝えろや。『テメェら。久しぶりの実戦だ。これから面白くなりそうだからよォ。金玉縮み上がんねェようにしとけや』ってな。ガハハハハ。」


ガードナーの豪快な笑い声が、コンクリートの密室に木霊し、響き渡る。



*****



カルテに記載された情報は、アダムス・スティングレイを仰天させるのに十分な事柄だった。

γ−グリフェプタンの投薬量が・・・・いつもよりも明かに多い。


この量を常用していれば、試験体は何れ必ず重篤な副作用を引き起こす・・・過剰投与オーヴァードーズだ。



「これは・・・・一体、どう言う事だ!?」

声を荒立て、研究員の一人に詰め寄るアダムス。


「・・・見ての通りの状況ですよ、Dr.スティングレイ。

昨日、所長より指令が有りましてね。


各種薬剤の投与量を、通常の5割り増しで行え。その上でトレーニングを強化する、と。


何でも、『強化人間達の限界を探りたい』そうですよ。


どこまでの投与量に彼らは耐えられるのか?

どの位の時間、戦闘を継続できるのか?

そして、彼らはどこまで”強く”成れるのか?


どれも戦闘の為に調整されたこいつらにとって、必要な情報ばかりではないですか?」


何を怒っているのだ? と言わんばかりに、その歳若き研究員は悪びれもせず、首を傾げてみせる。


「限界を知りたい、だって? それじゃあ唯の人体実験じゃないかっ!?

そんな段階はとっくに過ぎ去っているはずだ。動物実験でグリフェプタンの安全領域と限界値は証明されているだろう?

文献だって何報も出ている。知らないとは言わせないぞ。


何故、今になって、そんな実験を快方に向かいつつある彼らで試す必要が有る?

君たちは、彼らの生命がどうなっても構わないと言うのか?」


胸元につかみかかるアダムスの手を振り払い、研究員は鬱陶しそうにアダムスの言葉を遮る。


「そんな事、私に言われても困りますよ、ドクター。

私達は、上からの命令に従っただけです。何を責め立てられる必要がありましょうか?


・・・大体、何をムキになっているのです?


こいつらは、戦う為だけに集められ、調整されたモルモットじゃないですか。

有事の際に役立たなければ、何の価値も無いと私は思いますけどねえ。


貴方がこいつらと親しくするのは勝手ですが、訳の解らない私情を挟んで、我々の仕事を邪魔するのは止めて頂きたいもんですなあ。」



「何をバカな。強化人間の現場管理責任者は僕だぞ?

その僕に何一つ相談も無しに、こんな暴挙に出た事は責任問題に問われないとでも?

・・・・・君たちでは拉致が開かない。ラガン所長を呼びたまえ!!」



アダムスは怒り心頭のまま、研究員を怒鳴りつける。


ふと、研究員の後ろの扉からこちらを覗きこんでいた一体の試験体が、フラフラとした足取りでこちらに向かってくるのが見えた。


「・・・五月蝿いな・・・。少し静かにしてもらえないか? ・・・頭が痛いんだ・・・酷く・・・」


クリス・レラージュだ。すっかり血の気が引いた白面で、目の下に痛々しい程に大きな隈を作っている。



「クリス! 気分は? 平気かい? どこか他に苦しい所は・・・・・」


思わず問いかけたアダムスを、虚ろな視線で一瞥した後、クリスは途切れ途切れの口調で呟く。


「・・・五月蝿いって・・・言ってるだろ? ・・・誰だよ、アンタ。

気安く・・・俺の”名前”を・・・呼ぶなよ。


俺を・・・クリスって・・・呼ぶのは・・・アイツと・・・アイツと・・・あの人だけ。


・・・アレ? あの人? ・・・あの人って・・・・・誰だ?」



酷く苦しそうに、クリスは唸り声を上げ、頭を抱えて屈み込む。



”記憶障害”!

γ−グリフェプタン投与によって引き起こされる、もっとも警戒すべき副作用!!

ここ数週間は、全く現れていなかったと言うのに・・・・・





と、その時、先ほどまで口論を続けていた目の前の研究員の所内連絡用の携帯電話が鳴り始める。


「はい、こちら試験体管理病棟。どうぞ。

・・・・・何だって? 5番区画で暴れてる試験体がいる?

ちっ、手間かかせやがって、ポンコツ人形が・・・・・


ナンバーは? No.8?

ああ、あの目つきの悪い赤毛か。


解った、直ぐに行く。

拘束して隔離病棟にぶち込んでやるぜ。」


No.8は・・・・バルバドス!

ブラド・バルバドスだ。


”闘い”への渇望。

治療カリキュラムによって、薄らいでいたはずの・・・彼の本能。

何と言う事か。



「ま、待て!! 手荒な真似はよせ!!」



「相手は普通の人間じゃない! 寝ぼけるのもいい加減にしてくださいよ、ドクター。

大人しく捕まってくれるような玉じゃないでしょう? 場合によっては射殺も已む無しですよ!」


そう言い放ち、研究員は廊下の向こうに駆けて行く。

アダムスも慌てて後に続く。



5番区画は直ぐ隣の区画だ。

程なく、二人は暴動のあった場所へと辿り着く。




「クソッ、痛ってーな、コラ。離せや。このクソオヤジ!!」


「おうおう、随分な物言いだな、小僧。俺が止めてなきゃ、手前、撃ち殺されて今頃蜂の巣になってるぜ?

感謝しろってんだ。」



口汚く罵る赤毛の青年・・・ブラドを組み敷く様に、ガードナーがその腕を抑え付けていた。

周りでは銃を構えた警備兵達が、幾人も彼らを取り囲んでいる。



「・・・・・ガードナー補佐官殿。」


「ん? おお、先生。何かコイツが暴れてるって聞いたからよ。

とりあえず抑えといたぜ。しっかし、大した馬鹿力だな、強化人間ってのは。ガハハハハハ。」


豪快に笑うガードナーの額から、一筋の血が流れている。



だが、生身で強化人間とやり合ってその程度の怪我とは・・・恐るべき身体能力だ。


アダムスは、即座にブラドに鎮静剤と麻酔を投与して彼を大人しくさせた。

そして寝息を立て始めた彼を、管理病棟へ運ぶように指示する。

勿論、隔離病棟に等ではなく。



騒ぎが一段落着いた時点で、アダムスは深々とガードナーに頭を下げる。


「すみません。助かりました、補佐官殿。感謝いたします。

貴方がいなかったら、一体どうなっていた事か・・・」



「良いって事よ。これも補佐官の仕事・・・・なのか? ・・・ま、良いか。

随分物騒な事だが・・・・・こういうケースは良く有る事なのかい?」



「いいえ・・・とんでもない。

過度のストレスをかけたり、無理な強制訓練さえさせなければ・・・決してこの様な事には・・・」


しかし、今回のケースは、明かに薬物の過剰投与により、心の平衡を失った事に起因するものだ。

そう、原因はあの男・・・二ール・ラガン・・・!

許せない。


アダムスは怒りに満ちた表情のまま、心の中でそう呟く。



「・・・・ふうん。こういう研究所の職員ってのも色々と大変そうだな。

ま、困った事があったら何時でも言ってくれや。

俺に出来る範囲で協力すっからよ。


それじゃ、な。先生。


・・・・おー痛ェ。口ん中切れてやがる。」


独り言を口にしながら、ガードナーは悠然と去って行く。





アダムスは呆然とその場に立ち尽くしていた。


彼が苦心して、漸くここまで回復させた彼らの症状が・・・このままでは振り出しに戻ってしまう。





ラガン・・・あんな狂人に・・・僕の”患者”は、絶対に殺させはしない!!

一刻も早く、何とかしなくては。


僕が守るんだ。患者達を・・・例え、何を犠牲にしたとしても・・・


アダムスは、己の全てをかけて彼らを守る事を再び心に誓った。




*****




その空間が、少年の唯一心安らぐ場所であった。

何故ならば、そこは彼の”母親”の眠る場所。

と、言っても此処は墓所ではない。

彼の”母”の遺体が、現在どこに埋葬されているのか、それすらも彼は知りはしないのだから。



顔も知らぬ、声も知らぬ、伝え聞く事すら無かった、自らをこの世に産み落とした存在。

心の拠り所とするには余りにも曖昧で、不確かな存在。


そもそも、彼は、”母親”とは一体どの様な者なのかを知らない。

だから彼は、目の前にある白い偶像を、自らの母であると仮定し、そう心に刷り込む事にしたのだ。



オズ・ウィザーズロッドが唯独りひっそりと佇むのは、とある一体のMSの頭部のみが鎮座する暗闇の中。


開発者から、コードネーム”女神像”:”パラディオン”と呼称される機体。

それはかのロバート・ガードナーが、チャンドラ・バイラバンの密命によって捜し求めた存在と同一のもの。

周りの目を欺く為に、パーツ事に解体されてこの研究所に補完されているMS。


ごく一部の者達は、このタイプの機体を、OS起動画面に表示される文字のイニシャルを取って、G・U・N・D・A・Mガンダムと呼ぶ事も有る。



だが、そんな情報はオズにとってはどうでも良い事だ。

何故かは解らないが、かつて初めてこの機体を見た時、安らぎに満ちた気持ちに覆われた事を覚えている。


それは強化人間育成のプランの中に組み込まれていた『機体との適合の助長』、つまり長年に渡る”洗脳”によって、

MSを本能的に必要とする様に刷り込まれていたからに他ならないのだが・・・・・


彼は、その感情を”愛情”である、と錯覚した。


だから、彼はこの機体を密やかに「母さん」と呼んでいる。

パラディオンのコックピットは、彼にとっての揺り篭。そして母の腕の中と同義なのだ。



「母さん、今日はね? 旧型の連中の運用試験を手伝ったんだ。

二ール様のおっしゃる通り、薬物の量を増やしたら、正気を失う者達が増えた。


何だか怖かったよ。・・・・・そして哀れだった。」


彼は、就寝前に”母”にその日一日の出来事を報告する事を日課としていた。

彼の口調は、普段は年齢に不釣合いな程に大人びた者だが、”母”と向き合う時だけは、歳相応の少年のそれに戻る。



「・・・・・でも、二ール様のなさる事に、何一つ間違っている事なんて無いんだ。

あのお方は僕の全てなんだから。


きっと、投与に耐えられない旧型たちがいけないんだよね?


そして・・・・・きっと、お館様や二ール様が僕を認めて下さらないのは、僕の努力が足りない所為なんだ。

僕、頑張るよ。もっともっと二ール様の役に立ってみせる。


だから、どうかそこで僕を見守っていてね、母さん。」



盲目的な忠誠心。


それはオズがそうしようと願う程に、二ールは彼を疎んじるのだが・・・・・・彼はその事に気付いては居ない。

他人の感情の機微を読むことが出来る程、彼は”人間”と関わってきた経験が無い。




日課を済ませ、彼の塒である”コックピット部分”に向かおうとしたその時・・・


暗闇の中から、苦しそうに呻く声が耳に入ってきた。



「!? 人? ・・・馬鹿な。この区画に”生きた人間”など存在しない。」


この先の区画は、ジャンクヤードと呼ばれる、言わばゴミ捨て場のような場所。

不要物処理班が昼間に一度だけ立ち寄る以外、生きた人間が立ち寄ることはまず無い。


ここを居住区としている自分を除いては。



オズは、ホルスターから銃を抜き取り、警戒を強めつつ声のする方角へと歩を進めた。



「・・・・う・・・うぅ・・・・ん・・・・あ・・・・あっ!」


少女の声だ。

酷く苦しそうに、時折呼吸を荒立てて呻く。




「そこに居るのは誰ですか? 所属と認識番号を。何故こんな所に?」


銃を構えたまま、オズは懐中電灯をそちらに向ける。



光に映し出されたのは・・・・・自分よりやや歳は上と思われる、あどけない容姿をした少女。


どこかで見たことが・・・・

オズは彼女の顔を記憶の中に辿った。



「・・・・・エヴァ。エヴァ・シュトリー。・・・・・No.12・・・・・


ねえ、ここ、何処?

急に頭が痛くなって・・・・・気付いたら迷い込んじゃって・・・」




ああ、この娘は確か・・・・・


例の二ール様に逆らっている精神科医が可愛がっているという・・・

旧型の試験体。



オズは理解した。

頭痛と記憶障害は、γ−グリフェプタンの最も頻度の高い副作用。


彼らに昼間の運用試験時に投与したグリフェプタンの量は、常時の約1.5倍。


この少女も相当量の薬物を摂取したのだろう。

居住区からの道筋を忘れて仕舞うほどに。


だが、まさかこの様な区画にまで迷い込むとは・・・この少女はもしかしたら元々方向音痴なのかも知れない。


彼は銃を降ろし、彼女の顔をまじまじと見つめる。


「・・・そうですか。

それは災難でしたね。私が上まで送りましょう。


・・・・立てますか、No.12?」


オズは、かねてより旧型達に対して幾ばくかの同情を覚えていた。

自分に近しい存在でありながら、既に用済みの玩具の様に扱われる彼らに。


そんな背景が彼をその様な行動に駆り立てた。


「・・・・・・んっ。ちょっと、無理みたい。頭が・・・・・割れそう。


・・・・あ、あと、認識番号であたしを呼ばないで。


キライなの、それ。」



随分と・・・風変わりな試験体だ。

”呼び名”などに拘る強化人間なんて、今までに出合ったことが無い。


これが、件のスティングレイ医師の”無駄な治療”が引き起こした影響か?


オズは少しこの娘に興味を抱いた。



「はあ、そうですか。


ならば、”エヴァ”さん、と呼ばせて頂きます。

少し休んでから、医務室に行きましょう。


Dr.スティングレイには私から連絡を取って・・・・・」




「・・・んーん。それは止めて。ちょっと休んだら直ぐ元気になるから。


・・・・・せんせぇ、今日は色んな事があって疲れてたみたいだったし。

迷惑かけたくないから。」



その言葉は、オズを大いに混乱させる。

他人を気遣う強化人間? しかも、この娘は旧型だぞ?


我々新型は、通常の人間に近い思考回路を有している。

それでも、細かい感情の機微については理解に苦しむ事が多いと言うのに・・・・



「貴女がそれで良いと言うのなら・・・・・


しかし、此処にはベッドすら有りませんよ?」



「だいじょぶ。コンクリートの床、冷たくて気持ちいーし。


・・・・・ねえ、君、名前は? 

ちょっとお話しよっか?」



気丈にも、そう言って引きつった笑顔を見せるエヴァに、オズは少し狼狽して返答をする。


「私はオズ。・・・オズ・ウィザーズロッド、と申します。

二ール・ラガン所長の身の回りのお世話をさせて頂いております。」



「・・・・・男の子、だよねぇ?」



「女性に見えますか?」



「うん。何か、肌すべすべで綺麗だし。

オズ君かあ・・・今度、モデルになって欲しいなあ。

あっ、あたし、絵を描くのが趣味なの。」



何と、良く喋る個体であろうか・・・?

激しい頭痛に見舞われているはずなのに、笑顔を見せたり、驚いて見せたり、彼女の表情はコロコロと良く変わる。



「ところでさ・・・・・何で、オズ君は泣いてるの?」


その質問は、彼の意表を突いた物だった。



「私が・・・泣いている? 何を言っているのです?」



「んっ。や、気のせい。何か、そんな風に見えた。

・・・・・悩んでる事とかある?


あたしね、将来はお医者さんかカウンセラーになりたいの。


せんせぇみたいに、心の病気で苦しんでる人を助けたげるんだ。

だからその練習。


ほらほら、おねえさんに話してみ?」



・・・頭痛は治まったようだ。

今まで以上に饒舌になるエヴァにたじろぎながら、オズは考える。


・・・・・”将来”だって?

”彼ら”・・・・・いや、”僕たち”強化人間に、”将来”なんてものが果たしてあるのだろうか?


何て馬鹿馬鹿しい。茶番だ。

・・・・でも、何故か、この娘との会話は不快な気がしない。


それどころか・・・・・まるで”母さん”と対話している時のような安らぎすら感じる。

極めて不思議な事では有るが。



「悩み・・・という程の事では有りませんが。


私には、かけがいの無い主君が居ます。

その人に、認められようと日々非才なる身ながら自分なりに邁進しているのですが・・・


私が至らないばかりに、いつも叱られてばかり。

時々嫌になるのです。自分の無能さ加減に。」


ついつい、本心を打ち明けてしまってから、オズははっと気付く。

自分が弱音を吐いたのは・・・・・”母”の前以外では初めてではなかっただろうか?


すると、床に臥していたエヴァが突然立ち上がり、オズの方に近づいてきた。


エヴァがオズの直ぐ正面に立ち、真っ直ぐに目を見つめてくる。

満面の笑顔を浮かべながら。


「大丈夫だよ。だって、オズ君はこんなに頑張ってるんじゃない。

いつかその人も、認めてくれるよ。絶対!

あたしが保障する。


だから、自分で自分を駄目だ、なんて言わないで! ねっ!」


二人の身長差はほとんど無い。

だから、そう言って顔を覗き込んでくるエヴァの視線が、真っ直ぐに視界に入ってきてオズは戸惑う。


何が”絶対”だ。何が”保障”するだ。

根拠のまるで無い自信。


・・・・・・でも、不思議と不快ではない。

この娘の言葉は安らぐ。癒される。



オズはエヴァの視線から逃れるように、頬を染めながら目を逸らした。



「あのっ・・・もう、平気みたいですね?

それじゃ、居住区に戻りましょうか?」



「あ、うん。ゴメンね。長話に付き合って貰っちゃって。

お陰であたし、元気一杯なのさ。


よーし、んじゃ帰ろう。

案内宜しく〜。」



そう言って、エヴァは強引にオズの右手を左手で掴む。



「な、何を・・・・・」



「ん? いや、暗いしさ。

はぐれたら嫌だし。暗いの怖いし。

手ぇ握っててよ。


か弱い女の子をエスコートするのは、男の子の使命でしょ?」



なし崩し的に、エヴァのペースに乗せられるオズ。


そう言えば、”他人”とここまで長く喋ったのも初めてかもしれない。


お館様も、二ール様も、いつも自分と話す事にうんざりした様に途中で会話を打ち切っていた。



暗闇の中で右手に確かに感じる、少女の温もり。


オズは、胸の奥が妙に熱く、くすぐったい様な感覚に見舞われた。



光が見えてきた。

居住区まではもう少しだ。


オズは一度、ゴクリと唾を飲み込み、エヴァに問い掛ける。



「あの・・・また、どこかでお会いできるでしょうか?」


「ん? そりゃ、同じ建物の中に居るんだしね。」


「・・・その時は、話しかけても迷惑じゃないですか?」


「迷惑な訳無いじゃん。っていうか、見かけてるのに話しかけなかったら怒るよ? むしろ泣くよ?」



「・・・じゃ、じゃあ、先ほどのような他愛も無い会話を、貴女の体調が万全の際にも続ける事は許されるのでしょうか?」


「あったり前でしょ? 何でそんな事聞くかなあ。友達になろうよ、オズ君。


その代わり、絶対、絵のモデルになってもらうからね。約束だからね?」



光が二人を照らし出し、エヴァは聖母の様に笑い、オズはそれにぎこちなく笑い返す。




この日、オズ・ウィザーズロッドは、未知の感情を体験した。


”恋”と呼ぶには余りにも不器用で、”愛”と呼ぶには余りにも幼い、そんな感情ではあるが・・・




かくして”万象の杖”は次第に完成へと近づいて行く。

それが例え、時代の奔流に逆行した行為だったとしても。


それもまた悲劇を形成する歯車の一つに過ぎないとは知る由も無く・・・・・




≪PHASE-05へ続く≫