PHASE-01 Garden Of Eden


僕は誰も救えない。

僕は無力だ。


彼がそう自分に問いかけるのは、これで何度目の事だろう。

軍医アダムス・スティングレイは、その報告書を前にして、悲痛なる呻き声と共に頭を抱えた。


今日、彼が精神科医として初めて受け持った患者が死んだ。


重度のPTSDを持った若き軍人。

カウンセリングを行った時に見せた、あの若者の酷く怯えた表情が忘れられない。

拘束衣を引き散らんばかりに身体を揺らし、絶叫する彼の声が耳から離れない。

「やめろ、やめてくれぇぇぇぇぇぇっ!! 来るな! 来るな来るな来るな来るな来るな来るな!!」



あの時、ユニウスセブンは炎上した。

彼の放った核の炎に包まれて。

炎の中から絶え間なく、彼を責め立てる声が聞こえる。


殺したのは自分だ。

殺してくれ。

もう殺してくれ。


彼は、精神安定剤トランキライザーを切られて安定した後も、ベッドの上でうわ言の様にその言葉を繰り返していた。


新人医師には到底手に負えぬ、と判断された為、その患者は直ぐに軍病院に送られた。

アダムスは、担当を外れたその後何度も、その患者の様子を伺うために見舞いに行った。

そして何度も献身的なカウンセリングを続けた。

彼が何とか心の平衡を取り戻す事が出来るまで。


間も無く彼の容態は寛解し、彼は名を変えて連合軍に復帰を果たした。


だが、軍に戻った後も彼の心から罪への意識が取り除かれる事は無かった。

そして・・・ヤキン・ドゥーエで名誉の戦死を遂げたと言う。



あの患者・・・”アイル・フォーマット”は、安らかなる死を迎えることが出来たのだろうか?



彼は軍人として生きるには優しすぎたのだ。

だから、核ミサイルのトリガーを引いた事への罪悪感に耐え切る事が出来なかった。

自分にもっと経験と熱意があったら、彼を救う事が出来ていただろうか?


アダムスは先輩の医師にそう感想を漏らした。

だがその医師は冷ややかに彼を見つめ、こう返答した。


「お前も、その軍人と一緒じゃないか。

お前は、医者として生きていくには優しすぎるんだ。

職業意識をしっかり持て。

いいか? アダムス。一人の患者に感情移入しすぎるな。

自分に出来る事と出来ない事をしっかり見極めろ。

でなければ、本当に救える患者まで救う事は出来なくなってしまう。

表面上とは言え、その軍人は社会復帰した。しかし惜しくも戦死した。

それで十分だろう?


他に救わなければいけない患者は山ほどいるんだ。

死んだ人間よりも、今生きて苦しんでいる人間を救う事を考えろ。」



正論だ。極々一般的な。

でも・・・・自分は一人でも多くの人間を救いたくて・・・軍属の医師に志願したというのに。


救える人間なんてほんの一握りだ。

しかしそれが現状なのだ。


一人前の医者になる事。

その為には人の死を客観的に捉える事。

それを覚えなければ。



*****



白髪の少年が、酷く恨みがましい目付きでアダムスの眼を睨む。


目の前で敵兵に父親を殺され、母親を陵辱された挙句に惨殺された哀れな戦争の犠牲者。


そして・・・自分に医師の心構えを説いてくれた先輩医師、タリバン・マークの一人息子。


最後に会ったのはちょうど2年ほど前になる・・・そばかすの残る幼い顔立ちの、屈託のない笑顔が魅力的な少年だった。

・・・だが、今の彼はまるで別人と見紛うような風体で、コーディネーターに対する呪詛の言葉を吐き続けている。


カウンセリング中に、将来の夢を問うたアダムスに、その少年はこう答えた。


「全てのコーディネーターを根絶やしにする事です」と。



アダムスは憐憫の情を込めて彼に言葉をかける。


「ゲイル君・・・君の気持ちは痛いほど解る。でも、天国に行った君のお父さんもお母さんも、君がそんな事を言うのを望んではいないよ。」



ゲイルと呼ばれた少年が、目の前の食事用トレイを床に叩きつけて反論する。


「あんたに何が解るんですかッ!? 父様も母様もッ! 苦しんで苦しんで苦しんで・・・無残に殺されたんだッ!

天国だって? ふざけるな!! 父様も母様もそんなところに行っていない!! 今もまだ、”ここ”にいるんだ!!

そしてあいつらを全て殺すまで・・・決して僕に前のような微笑をくれる事は無いんだ!!! だからッ!!!」


白髪の少年の叫び声が木霊し、食器の破片がアダムスの頬を掠める。



・・・・そう、僕には誰も救えない。

きっと、僕のやっていることは唯の独りよがりに過ぎないんだ。



そう考えた時、アダムスの心は死んだ。生きながらにして死に向かう、唯の運命の奴隷となった。

絶望が灰色の視界を包み込み、かつて義侠に駆られた正義感は急速に萎んでいき、アダムス・スティングレイの抜け殻だけがそこに残った。



*****



そこはまるで壊れた玩具の行き着く場所のようだった。

アダムス・スティングレイが数々の戦場を渡り歩いた末にたどり着いた場所。

それが”強化人間研究所ブーステッドマンズ・ラボ”。


あの日から。

彼が彼自身の信念を捨て、抜け殻の様な存在と化した日。

あれから数ヶ月が経過し、彼の医者としての腕は数段上がっていたが、患者を救おうという熱意は落ちていく一方だった。


次々に運び込まれる患者達に、マニュアル通りの処置を済ませ、とにかく質よりも量を重視した診療を行ってきた。

そうしなければ、到底全員を診る事など出来ない、と自分に言い聞かせながら。


外科医の真似事をする事もあった。内科医としての経験を積む事も会った。

常に人手が足りぬ前線の野戦病院では、それが当たり前の事であった。


皮肉な事に、彼のモチベーションとは裏腹に、彼の手によって救われる患者の数は次第に増えていき、彼の軍からの評価もそれに伴い上がっていった。


一人の最早助からない患者を見殺しにしてでも、多数の患者を救う。


それが戦場に於いて第一に求められる事であったから。

それが間違った事だとも思えなかったから。


だから彼は、歪んでいく自分自身に苛立ちを覚えつつ、現実の流れに逆らう事無く生きてきた。

それに比例して摂取するアルコールの量は増えていった。


たくさんの患者を見殺しにした罪を洗い流したかったから。

傷口を消毒するように、罪悪感も酒で洗い流す事が出来たらきっと幸せだっただろう。




終戦を迎え、各地での戦後の小競り合いも次第に消え行く中で、アダムスに新たに課せられた使命。

それが、”強化人間”達のモニタリングを兼ねたカウンセリングだった。


だがこの研究所を統括していたムルタ・アズラエル理事は、ヤキン・ドゥーエの戦場に同伴して命を落とし、彼の保有していた虎の子の3体のMSも既に破壊しつくされ、
”成功体”と呼ばれ、戦場に送り出された3体の生体CPU達ももうこの世にはいない。

だから・・・戦の需要が消え行く世界に取り残された哀れな”失敗作”達を見つめてこう感想を述べたのだ。


まるで幼少時に玩具箱の隅に追いやられた、パーツの破損した数多の人形達のようだ、と。



*****



〜カルテNo.8 ブラド・バルバドス〜


嫌な眼をした男だ。

それがこの少年の第一印象だった。



闘争を好み、戦場に出て敵を葬り去ることを何よりも好む。

・・・否、敵を倒す事を目的にして戦う訳ではない。

時には自殺行為としか思えないような突進を見せることもある。

そして、パイロットとして極めて高い技量を持ちながら、命令を無視して動き回る統率の取れぬ存在。


所謂、”戦闘狂”という奴か。

それが彼が、”失敗作”といわれる所以。


以下に彼とのカウンセリング風景を撮ったものを掲載する事にする。



「所属No.と名を。」


「No.8、ブラド・バルバドス。っつーかよ、先生。

オレに最初から名前なんて無ぇよ。

この養豚場の豚みたいな認識番号も、”バルバドス”ってのも、あんたらが勝手に付けて、勝手に呼んでるだけだろが。


・・・・・ま、どうでも良いけどな。」


酷く不機嫌そうに、彼は答えを返す。

否、彼にとってはこれが常態なのかもしれない。


「じゃあ、この”ブラド”と言う名前は? 君がラボ入りする前から名乗っていた名前だろう?

何か特別な意味を持った名なのだろう?」



ここ強化人間研究所に於いては、名前は単なる記号に過ぎない。

そもそも、ここに入所してくる”試験体”の多くは、身寄りの無い孤児達や、年少ながらにして許されるべき罪を犯した者達。

それをアズラエル理事の名で経営する孤児院に収納した後に、コーディネーターに対抗しうる戦力へと”改造”する為に様々な実験を施してきた存在。


ファミリー・ネームは存在せず、ソロモン王の72柱の悪魔の名を模したコードネームを識別の為に付けられ、管理されている者がほぼ全てだ。


だが、彼のように生まれついた時に名付けられた名を持たぬケースは珍しい。



「・・・・・夢を見るんだよ。」


「夢? どんな?」


「紅い海。紅い視界。紅い世界。全てが原色の赤の風景の中、オレは紅い海の中に唯一人浮かんでいる。

それが最高に落ち着くんだ。その夢が見れた時は、一日すこぶる気分が良い。

このクソみたいな世界をまた一日、我慢して生き抜こうって気分になれんだよ。

だから・・・」


ブラド、か。成る程。」



血の海は羊水のイメージだろうか?

この少年、どうやら”戦いの中に安らぎを見出そうとしている”

ならば、彼にとってMSのコックピットは”鉄の子宮”か?


この”バルバドス”、紛争区域で生れ落ち、連合軍に拾われるまで何年も、親の顔も知らぬまま唯一人で彷徨い続けたと聞く。

彼にとって、”戦場”は”生まれ故郷”。”戦闘行為”は”母の胎内への回帰”を暗示しているという事だ。



戦い続けることが、彼の思い描く幸せな世界と繋がっている為の唯一の方法。


だから喜び勇んで戦場へと飛び出していく。そして、勝敗などには初めから興味を示さない。


殺す事も殺される事も、この少年にとっては同義なのだ。


血を流す事でしか、自分を産み落とした存在と繋がっている事を認識できないのだから。



いくつかのやり取りの後、僕は最後の質問を”バルバドス”に投げかける。


「君は、何のために戦う? どうして戦いを好む? それを自分なりに分析してみておくれ。」


”バルバドス”は、その問いに鼻で笑い返しながら即答した。


「何のために? 何故か? って? そんなのよ、決まってんだろ。


殺し、殺される為だ。


って言うより、戦う事は手段じゃねぇ。目的さ。

何のために戦うのか? なんてナンセンスも良いとこだぜ、先生。アンタ、もしかしてヤブ医者?

考える事は、戦うために何をすべきか? だろ??


・・・・・なあ、戦争が終わったなんて嘘だよなあ? オイ、何黙ってんだよ。

オレを戦わせてくれよ、先生。頼むよ、なあ・・・」


”バルバドス”は診察が始まってから、初めての動揺を見せる。


”戦争が終わった事”によって自身が用済みになる、という事を自覚し、「死にたくない」と取り乱す”強化人間”は幾人か居た。

だが、彼のように”戦いを続けられなくなる事”に不安を覚えて、心の平衡を失うケースは初めてだ。


戦い続けなければ、彼はきっと・・・・・完全に壊れてしまうだろう。

哀れな存在だ。

彼は戦争の犠牲者。

・・・だが、それだけだ。

それ以上は自分の関わるべき範囲ではない。


自分に与えられた仕事は、このカウンセリングの内容を記録して軍に報告すること。

彼らの症状を和らげる薬剤を適宜投与する事。

そして、彼らが言われて安心する様な言葉を、望むがままに与えてあげる事。


だが、恩恵を与えすぎてはいけない。彼らが希望を持ってしまうから。

どうせ助からないのなら、初めから希望など持たぬ方が幸せなのだ。


飢えた子供達全員に、満足するだけの食料を与える事が出来ないのなら、たまたま目に付いた哀れな子にだけ食料を与えるのは不公平だ。


だから・・・・僕は、彼らを決して”名”では呼ばないことを心に決めた。

僕が、”No.8”、”バルバドス”を”ブラド”と呼ぶことは恐らく永遠に無いだろうと思う。

僕は彼の父親にも兄弟にもなる事は出来ないのだから。


僕では、本質的に彼らを救うことは出来ない。

だから、決して壊れた玩具に情を移してはならない。

その行為は偽善以外の何者でもないのだから。



*****



〜カルテNo.14 クリス・レラージュ〜


酷く繊細な印象の、透き通るような白い肌をした少年。

だが、その眼は暗い情念の輝きに満ちている。


”レラージュ”は、アダムスの問診に対し、終始、どこか相手を見下したような態度で臨んでいた。


「不調は無いかって? すこぶる好調さ。だから、グリフェプタンの量、もっと増やしてよ、先生。最近、全然効かなくなって来た気がするから。

え? 他に? 何でも良いの? ・・・・・・・”穴”だな。俺の胸の、ほらココの部分に、ね? でっかい穴が開いている。貴方には見えないだろうけどね。」


・・・・アダムスは、”レラージュ”のその言葉を聞いて、ふと問診票への記録を止めて彼の顔を見つめ返す。


「”胸の穴”? それは具体的にはどんな形の?」


「いや、別に本当に開いてる訳じゃないよ、先生。俺を馬鹿にしてんの?

薬のやりすぎで幻覚見えてるとか、そんな下らない詮索はよしてくれよ。俺は至ってマトモだ。


・・・・・唯の比喩、さ。

本来、肺と心臓が収まっているべき位置、ここね? ここがポッカリ開いちまってる気がするんだ。

空っぽなんだよ、俺のここは、ね。」



・・・口ぶりを聞いている限り、状態は安定しているようだ。

ならばこの例えは、一体何を意味しているのだろう?

・・・寂寞の情? 虚しき想い? 漠然とした未来への不安? 或いは恐怖?

ストレートに考えればそんな所か。


だが、この自尊心の高い少年のケースには、どれも当てはまるとは思えない。



”レラージュ”は、所謂”エリート”だった。


ラボ入りから数年、どの実験に於いても高いデータを叩き出し、来るべき実戦への投入は確実視されていた。

だが、彼が3体の”G”タイプの生体CPUとして選ばれることは無かった。

それは彼が、先天的な一つの特徴を有していた事が原因である。


薬物感受性が、人よりも極めて高い事。


γ-グリフェプタンによる強化には、通常の倍の効果を示す。だがそれによる副作用と依存性が他の個体よりも数段高い。


医学的見地から見れば、当然この少年へのγ-グリフェプタン量は、通常用量の半量投与によってコントロールすべきであった。

だが、成果を急いだブルーコスモスの医師団は、薬物の効果が増す事のみに気を取られ、後の悪影響を省みずにγ-グリフェプタンを投与し続けた。

・・・・或いは、悪影響などあっても構わない。目先の成果が欲しいと欲したのだろうか?


結果として、彼の身体は薬物に蝕まれ、それ無しでは日常生活もままならない状態に陥る事すら有る様になっていた。

そして、実戦投入の日を待たずして、彼は”壊れた”。


彼は自分が”選ばれなかった事”を激しく悔しがった。


”誰にも負けない事”、これが彼の唯一の魂の束縛だったからである。

そのプライドが、度重なる過酷な訓練や、常時投与され続ける薬物の反動による禁断症状を耐え抜く支えになった、と解釈しても構わないであろう。



「君にとって、”戦う事”は何を意味するのかな? ”レラージュ”」


「そりゃ勝つ事、でしょ。それ以外に何かある? 俺達って、単なる”道具”なんでしょ? アズラエルもそう言ってたし。

だったら戦う。そして勝つ。唯それだけだよ。その行動に何の意味も無い。


あるのは結果だけだ。


結局、”サブナック”も”ブエル”も”アンドラス”も、負けてこの世から消えて無くなっちまった。


それって、要するに力が無かったからでしょ? 

だから俺を選んでおけば良かったのに。馬鹿な奴ら。


アズラエルが死んだのもそう。

あの人、まるで自分が創造主みたいなこと言ってたけど、案外だらしないよね。」


”レラージュ”は、辛辣な批評を口にしつつ、しきりに心臓の位置を抑えている。

”胸の穴”が疼くのだろうか?



「次は上手くやって見せる。戦闘時間だって、もっと引き延ばして見せるさ。

だからさ、先生。γ-グリフェプタン、もっと増やしてよ。あんなんじゃ全然、足りない。

俺がMSに乗り始めた時は、もっとたくさん貰ってたよ?

それとも何? 経済的に厳しくなってケチってるの?

理事が居なくなったから、財団のお金無くなったのかい?

何とかしてよ。そんなんじゃ、ザフトに勝てないでしょ?」


・・・・・彼はこの後に及んでもまだ、力を求め続けている。

知識として、戦争が終わった事を認識しているはずなのに。


・・・否、彼だけではない。

多くの・・・いや、ほとんどの”強化人間”は、連合とザフトの戦いに終止符が打たれたことを受け入れようとはしない。


それを認めてしまうという事は、彼らの存在そのものの意義が消えてなくなってしまうという事を意味するからだ。



「・・・・”レラージュ”。もう薬の量を増やす必要は無いんだ。

もしかしたら、その”胸の穴”も、薬物の量に比例して悪化していかないとも限らない。」


アダムスは、そう言って”レラージュ”を窘める。

だが少年は下を見つめたまま、クククッ、と含み笑いを漏らした。


「・・・・・嘘。”胸の穴”なんて真っ赤な嘘だよ、先生。

やっぱり貴方はヤブ医者なんだな。アハハ。

そんなの開いてたら、生きてるわけ無いじゃない。


・・・・・そう、そんなの存在しない。存在しないんだ。

だから・・・薬、頂戴よ。頼むから・・・そうじゃなきゃ、俺、一生・・・選ばれない・・・じゃない・・・」


”レラージュ”の声が次第に薄れ、懇願の眼に変わる。


彼も・・・不安なのだ。

自らの生が、全く意味を成さなくなる、その瞬間を受け入れることが。


・・・・・・いっそ、彼が望むがままのγ-グリフェプタンを、一度に投与してやろうか? とも思う。

そうすれば、これ以上苦しむ事無く、既に廃人と化していった彼の先輩達と同じように・・・永遠の眠りに付く事が出来るのだから。


”安楽死”は非常の業だ、などと言う人間がいる。

だが、それを患者が心の底から望んでいたのだとしたら?


”レラージュ”は頭の良い子だ。恐らくはこれ以上の薬物投与が、自分の体にどのような悪影響を及ぼすのか認識した上でこう言っているのだろう。


それは現実からの逃避なのかもしれない。

生き続ける事の重責から逃れる為の口実に過ぎないのかもしれない。


だとしても、彼の・・・・・彼らの暗黒の未来を変えるために、僕達がしてやれる事なんて、もう何も残っていないのだから。




興奮し始めた”レラージュ”の腕に、精神安定剤トランキライザーを切ってベッドに休ませる。


そしてアダムスは、自らも安定剤と睡眠薬を服用し仮眠室へと向かった。


何だか、酷く疲れた。早く休んでしまおう。


あの思いが再び湧き上がってくる前に。

こうやって感覚を麻痺させ続けなければ、直ぐにでも罪悪感という名の死神が、彼の前に再び顔を見せることだろう。


そして、こう問いかけるだろう。


お前は・・・・・一体、誰を救ったのか? と。



*****



〜カルテNo.12 エヴァ・シュトリー〜


仮眠室の自分のベッドが不自然に盛り上がっているのをアダムスは見咎める。

勢い良く、そのタオルケットを剥ぎ取ると、そこにはすやすやと寝息を立てて惰眠を貪る一人の少女の姿があった。


「・・・・・・この娘は、確か・・・・・」

先日カウンセリングを済ませた記憶がある。

No.12、”シュトリー”・・・だったか?


数少ない、女性の試験体。

躁鬱気質で、沈んでいる時は極めて無口でほとんど会話すら成り立たない。

前回の面会時には、俯いたまま一言も言葉を発する事は無かった。



「・・・おい、君、起き給え。どうやってここに入り込んだ?」

アダムスは、”シュトリー”の肩を揺さぶって声をかける。


「んー・・・・うるさいなあ、もー。そっとしておいてよぅ。」

寝返りを打ちながら、彼女はベッドの上で身体を丸める。


「・・・・・」

アダムスは、少女の下に敷いてある、シーツを勢い良く捲り上げる。


彼女の体が、回転しながら床に落下した。


「い、いったーい・・・・・・何すんのよ、もぅ。」

少女は非難の声を上げ、涙を浮かべた双眸でアダムスを睨んだ。


「こっちの台詞だ。・・・君、ここはスタッフルームだぞ? 君たちにここまで入ってくる権限は無かったはずだが・・・一体どうやって入り込んだ?」


「えー? どうって・・・意外とここの管理、ザルなのよー? 暗証番号とか、所長の生年月日だったり。語呂合わせだったり。

別にいーじゃない。勝手に使っても。この部屋ね、お医者さんがお昼寝する場所なのよ? 

でも、お医者さんがどんどん辞めてくからほとんど空き部屋。だからあたしがお昼寝するのに使ってたの。

あ、軍人さんたちには内緒よ? 今度から、おにーさんも内緒で使っていいから。ね? 

・・・・・・あれ? おにーさん、誰だっけ? どっかで会った様な・・・・・」



舌足らずな口調で、早口でまくし立てる”シュトリー”。


・・・・躁状態の時は、こんなにテンションの高い娘だったのか。


「アダムス・スティングレイ。 軍 医 だ 。」


「えー? んー? ・・・あっ、そーだ。新しく来たせんせぇだ、せんせぇ。若くてピチピチしてたから、何となく覚えてた。」


姦しいことこの上も無い。

試験体の癖に・・・この世間一般的な年頃の娘のようなはしゃぎようは、一体なんなのだ?

アダムスは頭を抱えた。


「・・・・覚えてくれていて何よりだ。さあ、そこを退き給え。そのベッドの所有権が僕にあるという事が判っただろう?」


「えー? イヤですぅ。まだ寝足り無いもん。あ、じゃあさ。一緒に寝ようよ。それで解決。」


「断る。帰れ。」


「ケチ。意地悪。ヤブ医者ぁ。」


・・・一日に3度もヤブ医者と呼ばれたのは初めてだ。

しかも、3度目は何の根拠も無い罵詈雑言なだけに、少しショックだ。


「せんせぇ。仕事サボってお昼寝してちゃいけないっスよ〜。」


「今は休憩中だ。相談したい事があるなら、後で個別に来給え。」


「ヤですぅ。今、気分良いんだもん。お喋りしたいんだもん。」


ベッドに既に身体を横たわらせていたアダムスの体の上に、圧しかかって騒ぐ少女の懇願に、アダムスは根負けしたように身体を起き上がらせる。


「全く・・・・・判ったよ。話してみなさい。何か、相談したい事があるのかな?」


「やったぁ、えへへ〜、せんせぇ、優しいねぇ。あのね、あのね?

男の子って誕生日に何を貰ったら喜ぶのかな? せんせぇなら何が欲しい?」


「・・・・・はぁ?」


脱力感がアダムスの身体を襲う。

誕生日プレゼントの相談だって?

自分は児童相談所の職員ではない。そんな子供じみた相談に、貴重な睡眠時間を削られてたまるものか。


「あのね、”シュトリー”・・・・・・」


言いかけたアダムスの言葉が、”シュトリー”の次の句によってかき消された。


「でもね? ココに居る限り、プレゼントはきっと手に入らないの。誕生日、もう直ぐなのに、どうしよう。」


彼女は至って真剣に悩んでいる様子だ。

・・・一方的に突っぱねるのは止して置こう。患者の精神衛生上宜しくない。


だが、この研究所内にいる限り、彼女達はモルモットと同じ様な扱いしか受けることは出来ない。

巷で売っている誕生日のプレゼント等、手に入れる事は不可能であろう。


・・・・・簡単な物なら、自分が買ってきても良いか。


そう言う考えがアダムスの頭を過ぎる。

だが、彼は直ぐにそれを取り払った。


一人の患者に、必要以上に感情移入してはいけない。


「・・・・・別に、お金のかかるものじゃなくて良いんじゃないかな?

プレゼントって言うのは、値段が高ければ良いと言うものじゃない。


君の気持ちだよ、大事なのは。

メッセージカードでも何でも、手軽に贈ることの出来るものはあるだろう?」


我ながら、何と言うその場しのぎの回答なのだろうと思う。


だが、彼女は眼を輝かせてその考えに食いついて来た。


「ホント? そんなので良いの? せんせぇもそう言うの貰ったら嬉しいの?」


「あ、ああ。嬉しいよ。」


「じゃあね、あたし、絵を描く。似顔絵、結構自信あるんだ。何でか知らないけど戦闘訓練が減って、自由時間増えたから、きっと間に合うし。」


何と言う純粋さだろう。

他人を疑うという考えが、この少女には無いのだろうか?



その空気に耐え切れなくなって、アダムスは口を開く。


「それは良い。きっと相手も喜ぶよ。・・・・・ところで、一体誰にプレゼントを渡す心算なのかな? もし良かったら先生に教えておくれ?」


”シュトリー”は、満面の笑顔を浮かべて、こちらに顔を近づけてくる。


「うん! あのね? あと二週間で、クリスの誕生日なの。だから、あいつの似顔絵描いて渡そうと思うのっ!」



クリス・・・・・・・確か、No.14”レラージュ”のファーストネームだったか?

誕生日・・・だって? 

彼は生まれた場所も日時も全て不明な孤児だったはず。


そもそも、この少女は何故そんなものを知っているのだろう?

いや、試験体たる強化人間同士にその様な深い繋がりがあるとは到底思えないが・・・・

 
”成功体”であるあの3体ですら、チームワークを獲得する事は出来なかったと言う報告を聞いている。


薬物投与による人格の崩壊。

それが他者とのコミュニケーション不全を引き起こす。

故に、彼ら試験体同士の繋がりは極めて希薄である、と認識していた。


”シュトリー”は、他の個体と比べて身体的な欠陥が多く、今までほとんど戦場に駆り出されてはいない。

それ故に、一定の自我を保てていると言うのは判る。


だが、”レラージュ”や”バルバドス”の様な・・・壊れかけた、或いは既に壊れてしまっているような個体が、その様なコミュニケーションを持ちえるのだろうか?



「なあ、”シュトリー”・・・・・君、”レラージュ”と親しかったのか? 誕生日を教え合うほどに・・・」


このケースに興味を抱いたアダムスは、表面上は平静を装ったまま、目の前の少女にそう尋ねる。


「え? ・・・・・うん。”仲は良かった”・・・・よ? クリスが、まだそんなヘンな名前で呼ばれる前。あたしが”シュトリー”なんて呼ばれる前は。


せんせぇ、あたし達ね? ホントは自分が何時生まれたかなんて知らないの。

だから、ある日皆で集まって決めたの。この日にしよう、って。

ココに来る前。孤児院に居た時にね。


・・・・でもね? 


何でなのかなあ・・・・こっちに送られてから、皆お互いにあんまり口利かなくなっちゃった。

ちっちゃな頃からクリスは偉そうな奴だったし、ブラドは乱暴な奴だったけど・・・

でも、昔は皆、仲良くやってたんだよ?


この前なんて、あたし、『誰だお前?』なんて・・・言われちゃった・・・えへへ・・・」


”シュトリー”が酷く悲しそうな表情を浮かべる。



・・・”記憶障害”、か。

彼らは戦闘の度に、禁断症状の激しい苦痛に見舞われる。

それは少しずつ、体と精神を蝕んでいく。


そうでなくても、連合軍は軍の機密を保持する為に、何度も彼らに記憶操作を施していた。


恐らく・・・・・彼らの昔の記憶は酷く曖昧なものとなっている事だろう。


彼らが一様にコミュニケーション不全に陥ってしまう最大の理由がここにある。


”誰と親しかったのか””誰とどのような会話を交わしたのか” 

そう言ったものが全て抜け落ちてしまうのだから。



もしかしたら・・・・・”バルバドス”の”戦闘への妄執”や、”レラージュ”の”胸の穴”についての、原因の一端はここにあるのかもしれない、とアダムスは思い当たった。


ふと前を見ると、”シュトリー”が、大粒の涙を溢れさせながら、アダムスに身を寄せてくる。


「ねえ、せんせぇ・・・・あたし、怖いの。

皆に忘れられるのが怖いの。

皆が変わっていくのが怖いの。

皆が居なくなって行くのが怖いの。


どうして、こんな事になっちゃうの?

唯、皆と昔みたいにお喋りして、それで一緒に遊びたいだけなのに。

あたし、間違ってる?」



止めろ。そんな眼で僕を見るな。

僕は誰も救えない。

今の僕は・・・唯の堕落した・・・・・医者の格好をしただけの偽善者だ。



「せんせぇ・・・助けて。あたしたちを・・・助けて・・・」


懇願する”シュトリー”。


「皆・・・あの機械に乗ったら変わっちゃうの?

アレに乗ったら、あたしも・・・何時か、皆の事忘れちゃうの?


そんなのイヤだよ。

あたし・・・MSなんかに乗りたくない。乗りたくないよ。」


アダムスは、自分の膝の上に頬を乗せて泣き崩れる、このか細い少女の肩をそっと抱き寄せる。


「・・・”シュトリー”。落ち着きなさい。大丈夫、大丈夫だからね?」


「・・・その呼び方はイヤ。あたし、そんな名前じゃない。”エヴァ”よ。あたしの名前は”エヴァ”。」


「・・・・・大丈夫だよ、”エヴァ”・・・君は・・・君たちは・・・僕が守ってあげるからね。」


アダムスはこの時、初めて彼女の”名”を呼んだ。

番号でもコードネームでもなく、彼女がかつて幸せに暮らしていた時の名を。


そのまま、エヴァが泣き疲れ、眠ってしまうまで彼は彼女の手を握り締めて離さなかった。



彼の胸に今、まさに去来するもの。

それはかつて医師を志した時に感じたあの正義感と同種のもの。


彼は自らの胸にもう一度問いかける。

「僕は・・・彼らを救えるのか?」


否、救えるのか? ではない。

必ず救ってみせる。


それは医師として相応しくない事かも知れない。

この娘を救うことが出来たとしても、ここに居る全ての”失敗作”達を救うことなど、到底出来ることでは無いのかも知れない。

だったら、何もしなくても良いのか?

答えはNO、だ。



医者じゃなくても良い。

偽善者であっても良い。

アダムス・スティングレイと言う一人の人間が、唯、心の底から守りたいと思ったから。

それだけの事だ。


僕の力で救うことの出来る人間を、僕の全力を傾けて救う。

そう心に誓った。



≪PHASE-02へ続く≫